天才太田の子育て道〜偏差値40の息子2人が、世界大学ランキング6位のUCバークレーに合格するまで〜 その② 河合塾から教えてもらった、子供の2つのタイプ:要領型と納得型
二人の息子は川崎市の公立小学校へ通いました。
「日本人の英語ができない問題」も気になり、TVなどで見聞きするインターナショナルスクールもいいかと思い、調べてみました。
しかし学費が、平均で200万円/年、6年間で1200万円、2人で2400万円!
しかも2人が小学校で重なる年(長男の3年生から6年生までの4年間)は、年間400万円にもなります。
当時の私の給料ではとてもとても払うことができませんでした。
また日本語をしっかり学び、日本語で考える力をつけてから英語を身につけたほうがいい、という話も聞きました。
たしかに日本の文化の中で、日本人らしい所作を学んだうえで、英語を身につけていくことも大事だろうと思いました。
でも、今思えばそれは言い訳。
単純に「学費が高額で払えない!」というのが最大にして唯一の理由で、
インターナショナルスクールはあきらめ、公立小学校へ通いました。
荒れた公立中学には通わせたくない。中学は私立に
長男が小学2年生になった秋ごろから、中学受験を考えるようになりました。きっかけは近所の公立中学がかなり荒れていることを知ったからです。
とても残念なことですが、平日の昼間から学校に行かず公園で遊んでいる子がいたり、なかにはタバコを吸っている生徒も……。
警察に通報したり、その学校に電話したりもしてみましたが、「ああ、またね」という感じであきらめモードの回答。
とても残念な気持ちになったのを覚えています。
もちろん、学校は勉強を教えるところで、学外での素行は家庭のしつけの問題だとは思います。先生たちの責任ではないものの、そういう環境に息子達を通わせるのはどうしたものか。
そういう場所で、いろんな人に会って、もまれていくのも育て方の一つではないかとも考えました。周りが良くなくても、その影響を受けずにしっかりとやっていくことができれば、それも成長ではないか、と。
しかし、私自身の体験を思い返すと、なかなか悩ましいとも思いました。
私が通っていた中学は公立中学で、当時日本中の学校が荒れていたのもありますが、あまり良い状態とは言えませんでした。
その頃の体験が何か今役に立っているか、自分の成長に寄与しているかと考えると、何らかの影響があるかもしれませんが、残念ながら明確にこういう良い影響があった、とは言えないものでした。
そこそこの高校に行って、いい大学に入って、そこで出会った友人達は素晴らしかったし、受けた影響はとても素晴らしいものでした。
中学から高校、高校から大学と進学していく度に、周りの環境がとても良くなっていったことをよく覚えています。
周りの素晴らしい友人の影響を受けていくことの大切さを実感しています。
中学高校で作れる友達の数が一定数だったとして、また友達から受ける影響の度合いが一定だとしたら、やはり周りの友達の質によって、受ける影響の質も変わってくると思います。
もちろん「良い友達」の定義にもよりますが、周囲の環境を事前に選択することができるならば、より良い環境を目指し、提供してあげることが親として大事なのではと考えました。
田舎育ちの私にとっては、公立=いい学校というイメージだったので、都会ではそうではないことに驚くと同時に、「公立が良くないから、私立に通わせる」という連鎖が公立中学をますます悪くしてしまっているようにも感じました。
そんなことから我が家では、中学は私立を目指し、中学受験を考えるようになりました。
日能研、個人塾に通うも、成績は伸びず……
「中学は私立に」ということで、早速長男を塾に通わせることにしました。
小学校のうちから受験勉強なんてかわいそうだと思ったものですが、ある程度対策も練らなければいけないのでしょうがない、そのゲームに参加しなければ、という感じでした。
知名度に流され(笑)、塾は日能研に。
電車の中吊りの「大人の皆さん、この問題できますか?」という煽りにも似たあの広告が、通勤電車での私の頭の体操には心地よく、また「こういう問題が解けるような子に、息子もなってくれたらなぁ」と憧れていたのも大きかったと思います。
完全にマーケティングにやられました。でもそんなマーケティングを考えられる塾ならいいかもしれない、とも思ったり。
仕事帰りの遅い時間に、駅で見かけるNバッグ(日能研バッグ)の子たちを見て、「すごいなぁ、こんな時間まで勉強して。大変だなぁ」とも思っていましたが、一方で、そういう子たちの中に入れば、その流れに乗って息子達も勉強するようになるかも、と少し淡い期待も抱いていました。
日能研は成績別のクラス編成。
毎週テストをして、クラスの上位成績者は上のクラスへ、下位成績者は下のクラスへ替わる仕組みが特徴で、成績でどんどん上を目指そう、というゲームで回っていくような塾でした。
とても分かりやすくて良いルールだとも思ったのですが、残念ながら長男はそのゲームに乗りきれず、クラスもいつも下のほう。
毎週のテストでのし上がっていくタイプの人ではありませんでした。
「この人は自分とは違うんだなあ」と初めて思い知りました。
私だったら、きっとこのゲームに勝つ方法を考え、上のクラスへ上のクラスへとのし上がっていったと思います。(笑)
毎週のテストに備えて長男と2人で勉強もしてみましたが、覚える速度もそんなに早くなく、自分とは全然違うタイプの人なんだ、と痛感しました。
日能研は授業についていくのも大変ですが、宿題も大変。
そしてその宿題の中から翌週のテストに出題される。
本当に毎週毎週、大変な勉強量でした。
長男もだんだんと、毎週のテストにプレッシャーを感じるようになっていきました。
楽しくない勉強は続かないし、この仕組みで成績が上がっていくモードに入れば、達成感や充実感もあって楽しくなるんだろうけど、この人には難しいんだろうなぁと感じ始めていました。
毎週毎週、「テストどうだった?」と私が尋ねるので、最後には返却されたテスト結果を書き換えて、よく見せてしまう……なんて事件も発生!
こんな思いをさせて、本当に申し訳ないと思いました。
この人には全く合っていない場だと痛感しました。
勉強は知らないことがどんどんわかる、楽しいもの。
これを何とかわかってもらいたいと、今度は地元の個人塾に通わせることにしました。
ここは一人一人のペースに合わせて勉強を教えてくれて、しかもコーラやカルピスが毎回飲み放題(笑)という、子供にはたまらないサービスもありました。
しかし、楽しくは通ってくれたものの、模試での成績は特に伸びることもなく、私には信じがたい「勉強がそんなに得意ではない子」のままでした。
2年遅れて次男も同じような感じだったので、長男と同じ「コーラやカルピスが飲み放題」の個人塾に通わせました。結果は同じく「勉強はあまり得意でなく」(笑)
でも彼らの名誉のために記しておくと、勉強は確かに得意ではなかったのですが、とても素直で気の優しい、いい人たちでした。
非行などもなく、他の人を傷つけるようなこともせず、本当にいい人たちなんです。
ここについては今も尊敬しています。
河合塾から教えてもらった「要領型」と「納得型」
長男が日能研に通いだした頃、リクルート社内では、多くの企業の入社試験に使われる適正検査「SPI」を刷新・開発するプロジェクトがスタートし、私もプロジェクトメンバーとして参加することになりました。
SPIでは、言葉の意味を正しく捉え、使えるかという「言語」(国語)と、問題の意味をきちんと捉え、公式などを使って解を導き出す力を測る「非言語」(数学)の問題と、性格傾向を掴む「性格検査」があります。
この「言語」と「非言語」の力に加え、語られている事象を、抽象度を揃え構造的にまとめる「論理力」=言語リテラシーを測るテストができないかというのがそのプロジェクトの目的でした。
プロジェクトメンバーは、リクルート社内だけではなく、河合塾といった社外の方々にもお願いしました。
論理力をどのように測ればいいのか、皆でディスカッションを重ねていました。
そこで出会った河合塾の方から、学習において、子供は2つのタイプに分かれるという話を聞きました。
1つ目のタイプは、要領良く「はいはい、わかりました」とやっていける要領型。
深くわかっていなくても、なんとなくわかれば大体わかり、その大体の理解で次にどんどんつなげられるタイプ。
そして、進んでいくうちに、以前「なんとなくわかっていた」ことも、その意味がきちんと分かっていく。
もう1つのタイプが、「何でそうなるのか」納得しないことには、全く先に進めなくなってしまう納得型。
一つ一つに納得しないと前に進まないいので、時間がかかってしまうものの、きちっとわかって進んでいけば、要領型よりも深く理解している強さも発揮できるようになる。
日本の学校での授業では、圧倒的に要領型の成績が伸びる仕組みになっている、と。
特に、前に習ったことを使って次につなげていく数学では、一回「なんで?」と止まり納得できないと、次に進めなくなってしまうということでした。
分数の通分、四則演算、負と正の和積……。どこか1箇所でも「なんで?」となり、ついていけなくなると、そこから先は全部わからなくなってしまう。
学校では、そういう生徒だけのために、完全に納得するまで時間を割いて丁寧に説明するのは難しい。それを補完するのが塾かもしれないけれど、塾も受験を目指してどんどんこなして前に進んでいくやり方。
結果、納得できないから、置いていかれる……。
考えてみると、長男は明らかに納得型でした。
何事も背景や構造を、納得するまでしっかり、じっくり説明しないことには分かってくれない人でした。
ごまかした説明ではダメ。順を追って、丁寧に正しく説明しないことには納得してくれませんでした。
塾に行って、とりあえず公式を覚えてその通りにやればいいと言われても「なんで?」「なぜその公式をここで使うの?」となる。
「そういうもんだと覚えるしかないよ」と教えると「どうして?」となってしまう。
小さい頃から「空はなぜ青いのか」「地球はなぜ回っていると言えるのか」いつも説明が大変で、ごまかすと納得してくれませんでした。
そのたびに辞典や辞書で調べて説明をしていました。
その他にも、例えば夕食を残して、「地球には食べるのも大変な子がいるのに」と怒られた時も、「地球の裏側に、僕の残したご飯を送っても、届くころには腐ってしまって食べられない」と納得していなかったし、
学校で同級生に叩かれたときにも、「なぜ叩いてきた子に、叩き返してはいけないのか」なんて説明も大変でした。
「とにかくダメなものはダメ」と勢いでごまかすことが通じない人でした。
でもとことんまで付き合って説明をしたら分かってくれる、とても素直でいい人でした。
また、説明をしようとするたびに、実は自分もそこまできちんと分かっていなかった、と気付かさたことも覚えています。
表面的なことを、知ったふりをして生きてきた自分が恥ずかしいとも思いました。
そうそう。
これを書いていて思い出したエピソードがもう一つ。
長男が中学の時のことです。
「三角形の合同条件」がわからないと質問してきたことがありました。
私はそんなの簡単じゃん、と。「合同条件の3つを覚えて、それを使って合同であることを証明するだけだよ」と教えてたら、彼の疑問はそこではなく、「なぜ3つの条件があれば、三角形は合同だといえるのか?」という点でした。
私はビックリ!
「え?!そこ?そんなの覚えればいいじゃん!」と思ったのですが、彼は全く納得していませんでした。
「合同といえるのかわからないのに、それを使うってどういうこと?」とまさに固まっていました。
三角形の合同条件を証明するって大変なことです。
もちろん教科書にも書いていないし、「2辺とその間の角度が一緒なら合同」なんて条件は、高校に入って三角関数を習わないと理解するのは至難の業。でも彼は納得しないと進まないのです。
あまり覚えていませんが、いろいろと調べまくってなんとか3つの条件が正しいことを証明して彼に納得してもらいました。
今思えば、必死になんとか説明しようとしている私に同情して、理解しないまま、ただ覚えることにしてくれていたのかもしれません。
中学受験を通して強く感じたのは、うちの子の場合、要領型のペースでやる塾や受験勉強を頑張らせても、本人が辛い思いをするだけだということ。
どんどん詰め込んで、良い点数をとって、要領よく上位校へ!という受験勉強はあきらめることにしました。
むしろそういうところに無理やり入れてしまって、申し訳なかったとも感じています。
にーちゃん(長男)、ごめんね。
荒れ果てた公立中学を避けるべく、私立の中高一貫校へ通わせたいという考えで始めた中学受験でしたが、
中高一貫校であれば、高校受験もないから、ゆっくりじっくり6年をかけて勉強できるのではとも考えるようにもなりました。
また私立中学の説明会に行って、なるほど!と思ったこともありました。
私立は学費がかかるので大変かと思いきや、公立に通ったとしても、夏休みや冬休みに塾に通わせるとなると、結構な費用が掛かる。
私立は夏休みも冬休みも学校で講義を行うので、塾に行かせる必要がないと。結果トータルのコストは変わらない、ということでした。
次男については、本当に申し訳ないのですが、「長男がそうなら次男も受験ゲームは無理」と考えていました。
今思えば次男はどちらかというと要領型なのですが、彼は勉強そのものにあまり興味がなかったようです。
長男を私が必死に頑張らせていたから、それをそばで見て「勉強をがんばる」ことに余計に引いていたかもしれません。
ゆーさん(次男)ごめんね。
そんなこんながあり、子供達には、中学受験を頑張って上位校に行こう!という目標を持たせることはやめにしました。
自分は勉強ができてここまで来れた、と思っている私には、彼らのこれからをどうすればいいのかさっぱりわからず。
長男が要領型でなく納得型と分かったのは良かったものの、かといってその対処策もなかなか見つからず、勉強ができないことには変わりなく、
また次男もそんなに勉強ができない。
大学時代の友人の子供たちや、会社の先輩や同僚の子供たちは、みんな勉強ができて本当に羨ましかったし、自分はどうすればいいのか焦りました。
受験を無理させず、ちょうどいいところに行かせるべきだとは思ったものの、そこから先の将来はどうなるのか。
息子たちはこれからどうしていけばいいのか。
受験の準備に付き合いながら、中学受験の模試会場に車で連れて行きながら、毎日毎日悩んでいました。