直腸カルチノイド闘病記2 ~内視鏡でとりあえず切除編~
直腸カルチノイド闘病記1 https://note.com/yossan_11/n/n578fe1c07a43
さて紹介状が届いたので、とりあえず家の近所で大きい病院を受診し、「こんなこと言われたんですけど~」と紹介状を持っていった。誠実そうな30代くらいの男性医師が担当してくれて、確かにこれは切った方がいいですねということだった。実は旅行の予定が差し迫っており、旅行前に手術はしない方がいいとのことで、7月の旅行後に手術をしようということになった。鎮静剤はきちんと使ってくれるらしい。よかった~。安心してお任せすることにした。人間ドックの医師の説明では、日帰りでもできるレベルの手術だとの話だったが、近所の大きな病院では、術後の出血なども稀にあるのでこの手術は1泊2日の入院になるとのことであった。
コロナの流行期間中に入院するのも気が乗らないが、いたしかたない。旅行から帰ってきて翌日には造影剤のCT検査を受けた。造影剤が身体に入っていく時、妙に暖かくて失禁した時のような感覚だった。再び食事制限して大腸を整えつつ手術・入院の当日を迎えた。
個室を希望していたのだけど残念ながら空いていないということで大部屋にチェックイン(入院)した。担当看護師は若い青年で、俺の手首に名前入りのリストバンドを巻いてくれたので「ロックフェスみたいっすね!」と軽く冗談を言ったらややウケで微妙な空気が漂った。ごめんね…。どうやらまだ2年目の新人とのことで、点滴の針を刺すのに5分くらいかけて慎重に血管を確認され、俺の方がドキドキしてしまい手汗べっとりになった。4人部屋で同室の他3人はみんなおじいちゃんのようで、昼間から寝ている人も多いようだ。
入院当日が手術日なので、当日入院してからまた2リットルの下剤コースだった。下剤はもう慣れたもので、すすすといけた。ただし便が透き通ってきたらトイレに行くたびに看護師に見せてほしいと言われ、何度も看護師に便を確認されるというなかなか非日常な経験をした。なんとも言えない気恥しさが漂う。こういうのって入院してればあるあるなのかもしれないけど、いかんせん人生で初めての入院なのである。
順調に便の状態もよくなったので、当日の手術の順番は1番である旨が担当看護師より告げられた。よっしゃ!早く解放されたい。
手術室に連れていかれて手術台に膝を抱える体勢で横向きに寝かされ、鎮静剤を点滴されたがまったく眠くならず覚醒したままであった。「寝たいですか?」と聞かれて「寝たいです!」と力強くこたえたのに寝かせてはくれなかった。ならその質問いらんやん(怒)とりあえず鎮静剤を増やしてはくれたようだが、全く効かず仕方ないので自分の腸内を映しているモニターを一緒に見ていた。なんと手術をしている医師と、人間ドックで腫瘍を見つけてくれた医師は知り合いらしく、「~さんなら丁寧だから見逃しはないはず」などと言っている。どうやら他に見逃した腫瘍がないかどうかもチェックしてくれているようだ。
当該腫瘍は肛門から約6センチくらいのところにあるのだが、「静脈のすぐ横にあって嫌だな…」と医師がつぶやいているのが聞こえた。輪っかのようなものを苦労して腫瘍にかけ、「深めに切るよ~」と言われて切られたのだが、歯医者並の痛みを感じて「イテテテテ」と言ってしまった。腫瘍はすぐにホルマリン?的な小瓶に入れられて、病理検査に出すとのことであった。術後も意識がはっきりしていたので、すぐに医師から「恐らくカルチノイドという腫瘍で、癌もどきとも言われている悪性のものである可能性が高いです」と告げられた。初めて聞いた単語「カルチノイド」全くなんのことやらわからず、頭の中に???がいっぱい生まれた。
病室へは担当看護師が車いすで連れて行ってくれた。病室に帰ると退院まで絶食だしもうやることがなくなってしまったので、レンタルWiFiをセットしてひたすらタブレットで動画を見ていた。
夜になり手が空いたのか、手術をした医師が病室に来訪してきた。どうやら俺がカルチノイドの意味がわかっていないので説明に来てくれたらしい。痛みを感じるほど深く切れたので、手術自体は成功だと思うということ、カルチノイドの可能性が高いこと、カルチノイドだとすると癌より転移しやすく悪性度が高いということ、稀な病気なので術後のもう大丈夫という線引きできる知見が溜まっておらず10年経っても転移する可能性があるということ、従ってしばらくは半年に1回検査をしたりして慎重に経過を見ていった方がいいということなどの説明を受けた。いずれにせよ切除した腫瘍を病理検査に出すので、カルチノイドかどうかはその結果を受けて確定するらしい。
軽く考えていたけど思ったより命にかかわる腫瘍のようだ。軽い気持ちで人間ドックを受けて、あれよあれよいう間に大変なことになってしまったなーと思った。調べると場合によっては再手術が必要で直腸やリンパ節を切除して人工肛門になったりするみたいだ。肝臓やリンパ節に転移しやすく、転移した場合の予後は悪く5年生存率は10~20%程度らしい。自分の苦痛はいくらでも甘受するつもりでいるので、とりあえず子供達がこの病気にならなくてよかったと思った。子供らがなったら心配すぎて頭がおかしくなってしまうわ!俺自身はいつ死んでもいいと思って生きてきて、その気持ちは今でも変わらないけど、その気持ちの一方で子供達が自立して働くようになるまでは生きていたいなーと思った。人間とは矛盾した気持ちを抱えて生きていく生き物なんだね。
消灯時間が迫ってくると病室のじいさん達がみんな看護師に痛み止めの処方をせがんで受け取っていた。ちなみにみんな痛み止め飲んで15分以内に寝ていびきをかいていた。ほんとうにその痛み止めいる?と思った。いびきがうるさくてこちらは全然眠れなかった。夜勤の看護師が足りていないのか、ナースコールは鳴りっぱなしで俺の点滴が空になっても誰も替えてくれず、トイレに立った時にすれ違った看護師に替えてもらった。ちなみにその点滴が空になっても誰も替えてくれなかった。どうせ自分は痛みもないし軽症なのであきらめてそのままにしていた。夜勤の人手が明らかに足りていない。カルチノイドのストレスといびきのうるささで、朝起きたら髪の毛が抜けて枕にいっぱいついていた。俺のヘアーには悪い環境である。
翌朝、退院の手続きとお金の精算をして退院となった。個室料金がかからなかったので想定の半分以下で会計が済んでしまった。ラッキー。退院した後、子供らはまだ保育園だったので妻と二人でスシローに行き寿司を食べた。意外とたくさん食べられて、まだ生きられるなと確信した。