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2022年12月13日 21:08 ジャギとアルファードなど6つ
ジャギとアルファード
ジャギ(またはアルファード)を見るとアルファード(またはジャギ)を思い出す人、日本に5000人くらい居そう。
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最後に読んだラノベ
AMAZONでたまたま自分が読んだ最後のラノベ(『緋弾のアリア』を除く)の画像が出て来たのでスクショした。藤ちょこさんイラストすき。物草さんラノベも好き。なおこのシリーズは未完。自分の好きなシリーズの未完率9割くらいに達してそう。ともかく、この『ミス・ファーブル』はとてもよいラノベです。未完ではあるけど、区切りはついているので、機械があればどうぞ。技術や知識量やストーリーの面白さは関係なくて、いいラノベって、とにかく、空気がいい。
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アミノバイタルトロフィーとか
年末にツルハドラッグの商品券を使う機会があって、運動もしないのに、アミノバイタルトロフィーの粉を買ったんだけど、すっぱくて強烈。500mlの水に溶かしてと指定があるのは嘘ではない。ヨーグルト一口に全部和えるとかやると、胃がイク。この点、いっそのこと、アミノバイタルゴールドの粉を買えばいいんだな。あれはグレープフルーツ味だけど、クエン酸特化ではないし、水量指定もないので、一気に二包だってイケるやろ。
同時にザバスの金銀のチョコ棒も買ったのだが、金はホエーって感じで、イケナイ旨さがある。銀は「ダイズッ!」って感じで旨いけどそんなに旨くないですね。糖分とシトラス系香料?(金の方に入っている)の差カモ。運動しないのにザバス買うというね。
筒に入ったココア味のプロテインも買った。旨くはないケドヨーグルトに和えて食べてる。ヨーグは豆乳ヨーと乳牛ヨーをローテしている。どうせヨーグだって、飽きたらしばらく離れる。
そういえばスーパーにて買った、イナバののり塩バタピーが旨かった。ビールとコレで延々回していられそう。ワイはビールをあまり飲まないので回さない。ピーナツ一皿なんてハトの餌扱いのノビカスものり塩にはニッコリ。ワイもたまには岐阜(イナバ)に行かざるを得なかったようやな。岐阜といえば『のうりん』の最終巻はどうなってんだ! 将棋ラノベ書いてる場合か白鳥。あくしろ。
現実という神秘体験を逃れる
真理への歩を進めるには、現実世界という神秘体験から卒業したほうがいい。そうすれば、夢をみること(たとえば、現実世界で神秘体験すること)への憧れからも醒めるだろう。
現実世界という神秘体験は、心身とともに一生続く。なにしろ「これが現実だ、これが世界だ、この世界は本物だ、揺るぎない」と、大抵の場合、一生信じさせる、これが神秘体験でなくて何なのか。
安定的に一生続くようにみえるから、それは私達にとって、捨て去るべき日常だとか、夢への踏み台だと捉えられる。だがそれは、私達が私達に掛けている巧妙な罠であり、実は現実世界とは、特殊なモードの認識にすぎない。私達にとって一生続くというだけの理由で、私達は騙されるのである。
いわば、私達は、人間認識という最強のドラッグをキメて生まれ来ているようなもの。だから、その上であるかぎりは、哲学の包丁を使って世界をさばいてみたとしても、あるいは物質的なドラッグをキメてみたとしても、人間認識のソフトを変えずに、ソフト内のモードを変えるくらいがせいぜいである。スマホでいえば、画面を目に優しい色合いの表示にしたり、文字を大きくして表示したりする程度のことにすぎない。
もしも志があれば、ほんらいの認識に立ち返ったほうが、真理が身近になるだろう。
本質的認識は、まさに、現実という夢を、したがって現実の対である夢をも、一望している。
その認識を心身において持続することは、私達にとってはおそらく真に学問であるし、また、この上なく体育でもある。
仕事
わたしにとって、仕事というのは、「自分そのものであること」だから、自分そのものが観えなければ、納得して仕事はできない、というものなのである。
だからわたしは、芸術活動について、自分の仕事である、と言う。
また、自分そのものである事に対して、周囲からお金を頂けるならば、それも、自分の仕事である、と言う。
自分そのものであるものへ、何がストレスや疲労を与えられようか?
そして、なぜか、あなたにとっても、仕事はそうであればよいとわたしは願っているものである。
誰もが、自分そのものであることが、その人の仕事であることが、当たり前である。
仕事しているとき、第一に感じられるものは、義務感ではない。解放感である。
自分そのものであることが、どの人にとっても、最も幸福なことであるという事が、より知られる必要がある。
ホンダの鋼鉄(車)とかの話
最近、時代を先取りしたホンダ・エレメント、みたいな記事を読んで、ほーんそんなコウテツあったんやなーと思った日に田舎の駅前でエレメントを見た。エレメントは、これはエレメントだ、って一目で解る見かけをしている。Hのロゴと、樹脂のバンパーやタイヤハウスがあればソレだ。
SUVが気長に流行っているが、SUVは食指が動かない。やはり肉(脳)が若い時にSUVブームを生きてないと肉(脳)が時代に同調しないからね、ちかたないね。でも、以前家族が乗っていた、一つ前のアウトバックはすき。顔が時代にしてはマイルド。まぁるいボンネットはねー、むかしのボンネットバスみたいですき。
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現行のアウトバックは、おめめがちょっと鋭くなって、幅がちょっと大きくなって1860、ターボがついたけど排気量は一気に1800までダウンしている。どんなもんなんでしょうね。
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同じくSUVブームが始まるしばらく前、たぶんプリウスの目が吊り上がって来た頃だと記憶しているけど、顔もお尻も細く吊り上がりだしてからのクルマ全般には、食指が動かない。ワイのクルマ審美眼は、それこそ、2000年前後で止まっている。
以前乗っていたホンダ・ドマーニは、ほんと、よかった。2010年式の銀フィットさんは、ドマーニが車検を通らないと判って急遽迎え入れたものだし。だから、銀フィットさんは、デザインについて嫌悪も愛着もないという特殊なマイカーとなった。FITの車検証を見ると、種別には「ステーションワゴン」と書いてあるんですよ! お前……ハッチバックじゃなかったんか!(笑)
ワイはクルマは趣味にできるほど情熱が湧かない。趣味にできていたら、とっくに、自分でOHくらいできていると思う。人の情熱はそれくらいパワーがある。
改めてドマーニは、デザインも、乗り心地も、本当に良かった。足りないものがドマーニにあるなら、それは排気量であったかなと思う。クルージングの感覚。自分は、エンジンを回し切りたい派閥とは、対岸に棲んでおりますもので……。
FITも、自分の銀フィットさんのモデルも売れたけど、より目が吊り上がった3代目はもっと売れたという話を聴いた。ほんとかよーおいおい。もう時代についていかれん。
男子はみんなそうだと思うけど、6歳の頃は、当時走っているクルマの名前は全部言えたんだよ。
その方向性が維持された人が、今もクルマを趣味にしているんだって思う。
秋本治さんとか思いつくね。
現行のFITのデザインはかなり好きだゾ! マイチェン前の、いちばん朴訥なやつね。→世間では不評。
新式の、クラウンSUVも、じつはかっこいいと思っている。(画像右)
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ケド、あれは、ツートンカラーによる補正が効いているから、ツートンカラーありきの印象なの!
でもね、やっぱり、旗艦だからなのか、本気でデザインしたっていう感じはするんだよね。だから、トヨタが興味ない自分にも、ちゃんと情熱が刺さるケドなー。
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