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2018年12月19日 00:52 フィンランドはメタル王が統治しているんですのなど6つ


フィンランドはメタル王が統治しているんですの

『FINLAND!!!! The land of Epicness!! Even for a Norwegian, you gotta admire and look up to the Finnish metal scene!!!! EPIC!!!!』
一メタラー俺にとって全理あるわ! フィンランドはメタル王が統治している!!
最近明瞭に感じて来たのは、メタルは丹田に力をくれる音楽なのだ。もちろんこの曲もそうだ!
私自身、メタルの丹田力によって、魂が肉体や現象から切り離され(るのはいいが、そのまま妄想の世界に行ってこいになら)ないように繋ぎ止めていたと考えられる。
どのメタルも、どんなにカッコよさを上げても土臭いのは、そういう音楽だからだろう。

そして、いま『M@STERPIECE』を聴いて思うのは、
対照的に、優れた女性声優の曲は、完全に魂に特化して訴えかけてくる。
したがって、魂の帯域へのチューニングができていない時期や心身にとっては全く効力なく、ひたすら雑音ですらある。
こちらは丹田ではなく、いわば第三の目の方面へブチ抜いてくる音楽である。
優れた女性声優の曲は、まったく巫女の声なのだから、濫発すべきではないが、アニソンというジャンルとして濫発されている現状ならば、聴く側が真価を知り、よくよく留意してセッティングを整えて用いなければならない!
この手の音楽に取り憑かれ、丹田がおろそかになると、まさに妄想の世界に住むことになってしまうかもしれぬ。アニメ全盛の現代では、非常に使い方が難しい。地に足がつかず、想念だけで漂っていると、サブカルやケイザイやイデオロギーやカイシャやカゾクなど無数の別称をもつ、比較のカルトに簡単に吸い寄せられて、脱出できなくなる。
しかし丹田に力が満ちている局面で聴けば、これほど素晴らしい帯域の音楽はない。

これら二種類の音楽は、二つで独つの理想的調和を成すものと言える!


神社にお詣り

きのうはA神社を北部がわからただ通ろうとしたらお詣りしたくなり、拝んだ時に3000円賽銭を奉納しようと感じて奉納した。何かをお願いしたわけではない。(願いは神様の御神意をはじめとしたあの御稜威によって全て現に叶っているからである。)とても気持ち良かった。これは最高のお金の遣い方の一つだ!  
ただ、賽銭がやや少なすぎたと思った。次回は桁を増やして納めた。

2019年02月04日 01:08

最近はハルカッスが、「女神」というあり得ない怪物そのものの性質により、765アイマスへのあらゆる嫌悪や憎悪を吸い込み浄化する、765界の入り口にある最強の空気清浄機みたいな感じがしている。そこからは誰もが襟を正すようになる、神社の鳥居のようなものだね。メタ的な愛着が湧かないでもないゾ。
(まあアニマスでの「女神」のキャラ造りや演出は失敗していてただのアザカッスだと思いますけど。アニマスも第一話では凄く好感があったんだけど、クリスマス以降「魅せる」のではなくちょっと「喋らせ」すぎましたね。春香ファンの人、すまんな。)

(2025年追記:このあたりから春香へのわたしのトーンに変化が見え始めましたね。)


生涯最高値の野球用品の買い物

ReiとAsuka

画像を整理していたら出て来た、思い出の両投げグラブ、「Rei」と「Asuka」。

「Asuka」は神野球デビューしていない。

画像はネットより転載

もちろんプラグスーツのデザインを意識してオーダーした。
自分の希望の配色で作ってくれるミズノのサービスを利用した。すごい技術だと思う。想像を絶する。

なぜ両投げのグラブを作ったかというと、もともとの右投げがイップスになて、左で投げるようになったので、
左で投げてるうちに、右でワンポイント投げたりするかもしれないし、ワンチャン、イップスも治るかもしれないと思ったわけ。
結果は、しばらくして左もイップスになるというワイも予想してなかった結果になったよ!(笑)
あ、左投げのカーブとカットボールだけはなぜか投げれるので、二つの球種でお茶を濁していた。

みてみて!

何にしても、野球用具は、一生使えるので、高い買い物でも、使い倒せば値段以上の喜びをくれる。

もちろん、上の配色にしたのは、当時エヴァのファンだったから。(なお、本編は観たことないニワカのままである。)



波動

スピリチュアルについて述べる人が、
「この世の全ては波動である」
と言ってるのを聞いたことがあるけど、

この世=現象階層とするなら、正しいことだと思う。
物体にしろ、波動にしろ、他のエネルギーにしろ、
何かが知覚(認識)されている時点で、それは物そのものの姿ではない。

「波動を感じるんだ!!」という人には、「だから何?」と思う。
嫌味ではなしに、ただの疑問として。

どういう精妙な波動であろうとエネルギーであろうと、それは「物そのもの」からの傾斜や断層を示しているものであると、私は考えている。

「波動はどんな場所(たとえば死後の世界)でも残る!」と言うなどは、無意味な言明だと思う。
それは、知恵に恵まれた猿が、「自分が死んだ後でも(猿にとっての全世界である)森は残る」と言っているようなものである。
猿がこう言うのは、森よりも広い世界を認識できないためだろう。


自分の歪み


きょうはN神社の近くのコンビニの駐車場でお昼寝した。
帰って来て、部屋が暑いので窓をぜんぶ開けた。夏に全身で氷水を飲んでいるように心地いい。
半年ほど、太陽光や空気を食べて一食以上に充てている。食べる割合は徐々に増えてきている。
でもやはりお菓子も好き。

自分が歪んでいることに気付かないことって、真に致命的なんだよな…。
社会や、時代や、国や、「普通」の鋳型に、自分から自分を嵌めておいて、自分で心身を歪めて、生活も人生も愉しめていないことに気付けなくなるという。何をそんなに恐れているのかと言いたい。
恐れさせているものを観察・凝視することをサボっちゃったんでしょ? 
いわゆる整体の、創始者といわれる、野口晴哉は、「自分のうんこを人に気張ってもらう」と、こういう状態を批評した。

人々が生活や人生で歪んでいく・歪んでいるのを見聞きすると、人間には、人間は、まだ早い気がどうしてもする。

野口晴哉は治療から手を引いた。心の歪みがひどくて、直してもまた戻って来てしまうからとも聞く。
「我は去るなり」と遺言したという。

意識・言葉・自分には、正しい使い方がどうしようもなく厳格にある。
そこを外れると簡単に【私】に取り込まれてしまう。教えと学びが必要なのだ。

でも、教えられる人が居ない。
じっさい、家でも学校でも、「意識・言葉・自分の使い方」なんて、教えられて来なかったものね。

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