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2022年06月27日 17:46 閉塞・1など6つ
閉塞・1
14歳の時、「これをどうにかしないと自分は以前(と同等や以前以上)の幸福は取り戻せないな」という物に閉じ込められた。『可能性ガール』でいえば『この地球ごと閉じ込められた黒いゴム風船のような夜空』。普通に言えば、自我と自分を同化する錯覚。
24歳の時、真理についての学びを修了しないと棺桶に片足を入れてから青ざめるし、それは嫌だから真理についての学びだけをやって、他はやらなくてもいいようにしようと決めて、学びを始めた。
30歳くらいの時かな、ハッと「もう充分だ」と感じて、外界に刺激を求める事を止めた。その理由は、普段意識には上がって来ない深い処で空転の感覚があったから。「退屈だから別の趣味を探そう」という感覚ではなくて、これ以上外界に広がっても騙されるだけなんだ、という直感。
裏を返せば、個人の世界・現象の世界が幻影であるという、深い処での確信。この確信が裏で作用していて、「もう充分だ」というひとときが訪れたと思っている。
特徴的な事は、その時までは「叡智を蓄える為に一生続けるだろう」と思っていた読書をパタリと止めた。外側には真理は無い事、自分の中にすでに真理(について学ぶための全部の材料)が揃ったことの感覚だったと思っている。
叡智は個人の世界には無いので蓄えられもしない。
思考で感謝する?
思考は、愛や感謝に、条件を必ず付けます。しかし事実は、愛や感謝は無条件のものです。それは思考では感じられないのです。
たとえば、物語の描き手は、愛や感謝を言葉で表現しようとします。だから(思考でなく)、芸術として行う必要があるんです。愛や感謝を思考で表現する事はできません。
アルコール濃度
0.5%のアルコール飲料を飲んでみたら5%以上のア飲料と酔いの良いところが一致し、脱水も背中の痛みもなくなり、よいことしかない。ワアの肉体には0.2くらいでいい感じがする。水分補給できるア飲料とは素晴らしい。
本記事の主題「閉塞」を小説文にしてみた
『重さの中へ引きずり込まれて、私は逆らえず、けっきょく眠りに落ちた。
目ざめると夜で、黒いベールを一面に貼ったような、うさんくさい夜空だった。
頭上の木の葉は、造花によくある緑色の樹脂に見えた。
……あれー? 空、自然、セカイ、こんなふうな、造り物っぽいカンジだったっけー? 私はその時、初めて、そう感じた。以来、寝ている時以外、その感覚が一秒もほどけたことはない。造り物の玩具のようなセカイの中で飼われている感じ。
だれが飼っているとか、どうでもいいし、居たとしても相手に何かしようとは思わない。
大事なのは、悪意。それも途方もない……。
ゴミのようにおざなりに造った箱庭で、私が這いまわったり、苦しんだりする様子を、遠隔からモニターで見て、高級ブランデーを傾けているような奴らが、このセカイを仕立てた奴らに違いないと分かるのだ。
奴らには愛玩の意図すら無いはずだ。悪辣さ、底意地の悪さ、それが生まれつきである手に負えなさ、そういう感情を、このセカイの造り主は、セカイののっぺりした造り物感から、正確に私に向かって、故意に伝えて来ている。しかし、分かっても貴様ごときには何もできないだろぉ? あぁ~■◆■■◆▼▼が旨いっ。聴こえないって? 貴様にはこの酒の銘柄が聴こえるワケがないだろぅ~? 下衆がぁ~。……そういう感情を。』
今回の記事の構成について
バンズで具を挟むうように、同じ曲想のもので中身を挟むというプログレメタルの構成は、Dream Theaterの『Systematic Chaos』に倣っているものです。ちなみに上のアルバムにはアルコールについての曲も入っていたりします。
閉塞・2
自分は、どこへ行っても、何をやっても、苦痛から逃れられないのを感じていたし、明文化などもして、腰を据えて取り組んだ。何を取り組んだか?
どこまで行っても、何をやっても、『この星ごと閉じ込められた黒いゴム風船みたいな夜空』から出られないのは分かっていた。結局、自我のゴム風船の中なんだ。欲求が満たされ、一時的に欲求の渇きがやんでも、一時間後にはすぐに同じ渇きの熱さが湧いて、走狗になる苦しみが分かっている。
自我が強いヒトほど、それを感じて、苦しさに耐えられなくなる。
自我がさほどでもなければ、苦しさは相対的に小さい。むしろヒトの幸福の中で充分に楽しみつづけて、一生満足できるヒトも多い。それはそれでとてもいい。
自分は自我が強かったからそうではなかった。
あーまたあのいつもの重さ、灰色感、空気のコンクリートへの閉塞が、どこに行っても何をしても続くんだろーなーと分かっていたら、何とかしようとするしかない。何とかならないかもしれなくても、何とかする方向へ、行き続けてみるしかない。選択肢はなかった。だからやった。
それは、ヒトを破ること。意志から解放されることだ。
自我の強力さに苦しみすぎるタイプの、比較的少数のヒトには、このひとつの道しかない。
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