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国立ハンセン病資料館
私が人生初めて出席した親戚のお葬式
あんまりにも荘厳で、お葬式がこうゆうスタイルと思って儀式を一生懸命見て覚えたけれど、今までいっぺんもそんな荘厳なお葬式出たことないです
小学校に入学したてだったと思います
当時の病名癩病患者さんへの国の強制隔離政策と断種にひとり反対した医師と呼ばれている人です
記憶に残っていたのは、もう病気でベッドから私があいさつをするのをニコニコみているおじいちゃんという感じです。私はとっさに絵本に出てくる良寛さんみたいだなと。「ゴーフル」という風月堂のお菓子が好きで母がいつものお土産に持って行きました。当時はおしゃれなお菓子です。
彼の部屋には、祖母がとても尊敬を持って接していて祖母も怖かったから、子供がひょこひょこいける部屋じゃない空気感ありました
患者さんの悲劇は母から聞かされていて、ここでは書けないくらい悲惨なものでした。ただ、その後彼の志しを家族で引き継いだ医療分野の人はいないので(母は医師になること期待されてたらしいですが理科が全くできなかったといっておりました。トホホ)資料館で初めてその事実を知っている次第です
志しは、引き継げなかったけれど資料だけは、いつか読めるだろうと思っておりました
今回図書館で資料も借りてきました。なんだか夫がまた再来館してもいいといいます。結婚した時は話しをしても特にでしたけれど。
今は年齢いったからと。感動したらしい。今の仕事とリンクしているのかな?
図書館の返却2週間で今は4週間でもオッケーと言うことです
今回の資料館で1番印象に残ったことは大日本帝国時代、私たちの国以外、占領下の台湾や韓国でも同じような強制隔離と断種が行われていた事実の展示
これは知りませんでした。ショックです。
賠償問題に発展してもおかしくないでしょう
また、まだまだ世界でも根絶は出来ていないという世界の地図です
ブラジル、アメリカ、中国でもです。
最後にその功績が決して明るいところには出ないだろうと言われてた
人でした。
写真も功績も展示もあり、明るいところに出ることができ、
祖母が直接貢献していたわけではないけれど、自分の夫は早逝して苦労していた姿を知っているので良かったと思います
読んでくださりありがとうございます🍀
きっかけをつくってくれたしおんずのメンバーにも感謝しています😊