才能がないとか、安易に言わない方がいい

私は映像系の業界の人間なのだが、映像系の業界というのは、おそらく遠慮して言っても5分の1くらいの確率で美大系出身者がいる。多摩美・ムサビ・日芸・大阪芸大、なんちゃら映画学校卒とか、ゴロゴロいる(なんちゃら、と言ってしまったのは、馬鹿にしているのではなくて、知識がなさすぎて名前が覚えられないだけなのであしからず)。
だからだろうか、仕事ができない、の意味で使われる語に、

「あいつは才能がない」
「あいつはセンスがない」

というディスり文句がある。かくいう私も20代の頃にすげー言ってた気がする。

だが、尊敬するカメラマンに「才能がない、なんて、ない」とはっきりと否定されて以来、そうやって卑下することも、馬鹿にすることもやめた。

特に映像演出というのは、ものすごく仕事のできるポイントが難しい。アシスタントだったころは、ポンコツ極まりなくても、演出をする段になったらいきなりすごいのを作っちゃったり、逆に将来を有望視されたアシスタントが、ポンコツ極まりない演出になったり。ズブの素人がすごい面白いものを作ったり。冗談みたいに評価ポイントの意味がわからないのが、演出だ。だからこそ、その業界で働く我々はわけのわからないものとして「才能」「センス」という言葉で片付けてしまう。

だが、才能を否定するカメラマンは、言った。

「俺たちはアーティストじゃない、技術者だ。
才能がある、ない、なんてのは、仕事である以上関係がない。
技術を覚えろ、そのためには、
日々の仕事を飽きずに、向き合えるか、学び続けられるか。
それが一番大切だ。身につけた技術は裏切らない。」

私は、そもそもかなりの才能信者だった。天職となる仕事をして、自分の才能を発揮しないと。自分には才能がないから、この仕事をやめないといけない。でも、この仕事以外にやりたいことが全然ない。才能もないのに、この仕事を続けるなんて恥ずかしいし、辛い。でも、この仕事以外は、したいとも思えない、できる自信さえもない。一般社会人になれる自信なんてないし、腐りまくっていた。才能は関係ないと否定してくれたのはありがたかった。

才能もないし、能力もないけれど、私にはこの仕事に、向き合うはずにはいられなかったからだ。

才能があるか、仕事ができるか?そんな基準で自分をジャッジしていたら、たぶん、私は潰れていただろう。はっきり言ってセンスもないし、才能もない。仕事だってできない。
だけどカメラマンの言葉で
「この仕事しか私にはできない」
としか考えられない事自体、私の強みなのだと、気がつけたのはありがたかった。どんなに才能があっても、能力があっても、この仕事を続けていくこと自体が難しい、飽きてしまう人だっているだろう。私は、(不器用ゆえなのだが)しょっちゅう壁にぶつかるし、悩むから、全然飽きないし、いつもいつも映像や、自分の思いを伝える方法にずっと気持ちを割き続けることができる。それが、たぶん、私の才能なんだと思う。

それ以来、私は、人を、「才能」「センス」で見ることはしなくなった。もちろん、仕事ができるかできないかも問題じゃない。きれいごとかもしれないけれど、

「やりたいか」

その1点だけが、一番大事なんだと思っている。もちろん、仕事できない若造は嫌いだし、関わりたくはないが、やりたくてもうまくできなくて本人が悩んでいるのであれば、できることを、1つ1つクリアできるように、できることからやっていってくれるように、私はサポートしたいし、そうやって、若手の力を借りられるようになりたいと思う。私自身も、一人ではなにもできないわけだし。

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