昨日は 私が産まれてから母が 脳溢血で倒れ 大変になった話をしました。 私は三女でしたので 父は 悩みました。長男なら 私を養女に出すことなど 考えてなかったでしょう。 でも 男親が乳飲み子を育てて行くには厳しすぎた。 倒れた母は 意識不明。私が養女になって もらわれて行ったあとに 意識が戻り 泣いていたと 後で聞きました。当の私は 子供のいない 夫婦に 当時の助産婦さんの紹介で もらわれて行きました。 産まれてから 約2ヶ月半経ってからのことでした。 続きは明日
昨日は母が私を生んで倒れた話まででしたね。乳飲み子を抱え 父は働かなくては行けない。母は意識不明。当時私の面倒を見てくれた叔母は後で言っていましたが。仕事が終わると親戚に預けた私と保育所に預けた二人の姪っ子を迎えに行き 帰ってからは 晩御飯の支度・洗濯と やることが一杯で。疲れはてた叔母は夜中も二時間置きとかに あげなければならないミルクも 寝てしまいあげたりあげなかったりの毎日だった。そのうち 赤ん坊の私は泣かなくなった。泣いてもミルクをもらえないのを理解したのか?叔母が
私は今から64年前女の子ばかりの末っ子として誕生日しました。 わたしが産まれてから約7日位経ったとき母が脳溢血で意識不明になりました。その時一番上の姉が五歳 そのつぎが二歳そして生後約1週間の私でした。父は途方にくれたでしよう。 あとから聞いた話ではその後は上の二人は保育所に 私は近場にいた親戚に昼は預けられました。家には父の妹が同居していましたが、働いていたので昼私の面倒を見ることはできませんでした。その頃の話は詳しくはわかりませんが 私も親になり子育ての大変さを実感して
還暦をゆうに過ぎた今日この頃 私は 生まれてから 今日まで何を考え 何をして来たんだろうなぁ~と ふと 後ろを振り返るようになった。 前を見ずに後ろを振り返ったところで 何も変わらないのは解っているが。 歳をとったからなのか?先がないからなのか? これから 少しずつ書いて行きたい。