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家族映画「異人たち」が描く孤独に泣く

前回の記事から少し間が空いてしまいましたが、お元気にしていますでしょうか?

アカデミー賞の総括の記事を書くために主要部門以外のノミネート作をチェックし始めたら沼にハマってしまい、記事を書くタイミングを逃しているところです。

感情を言語化するにあたって「勢い」って大事なんですよね。

そうこうしている間に、以前から注目していたアンドリュー・ヘイの新作「異人たち」が公開になり、昨日ようやく観に行くことができました。

山田太一の小説がベースになっていることも、日本では話題になっていましたね。

筆者はたまたま大林宣彦監督の「異人たちとの夏」(1989年)を昨年鑑賞し、80年代邦画のベストの一本にカウントしていたこともあり、より一層、楽しみにしていました。

ジャンル映画というより普遍的な家族映画


鑑賞中、ある時点から、あまりの切なさに涙が止まらなくなってしまい、クライマックスでは画面を見るのも難しいくらいに映画館の暗闇で号泣してしまいました。

それは、この映画が「ジェンダー」というジャンルにとどまらずに「家族」という普遍的なテーマを扱っているからです。

特にPet Shop Boysの「Always on My Mind」という曲がリビングのテレビ番組(Top of the pops というイギリスの国民的な番組)から流れ、家族が大合唱で盛り上がるシーンは、今思い出すだけでもウルウルきてしまいます。

これほどに家族の一体感と幸福が凝縮されたシーンは他に見た記憶がなく、同時に泣けるのは、このシーンを見ている観客が、この家族がすでに失われていることを知らされているからです。

また、ここまで感情移入してしまったのは、筆者の育ちや、半生を振り返る年齢に達していることもあるかもしれません。

もしからしたら明るい未来に向けてイケイケドンドンな若年層よりは、半分振り返りモードな中高年以上に、より共感を呼ぶ映画なのかもしれませんね。

本作にも出演しているポール・メスカルが主演をつとめた昨年の『aftersun』はやりきれない家族映画だったわけですが、『aftersun』以上に『異人たち』は家族との失われた絆を描いた映画になっていると思います。

映画における音楽の重要性

主人公の幼少期にテレビから流れる「Always on My Mind」は元々エルビス・プレスリーのカバーなのですが、曲の一部は以下のような歌詞になっています。

Maybe I didn't treat you as good as I should
たぶん、君を十分に大切にしなかったかもしれない
Maybe I didn't love you quite as often as I could
たぶん、君をできる限り何度も愛さなかったかもしれない
Little things I should've said and done
君に言うべきだったり、すべきだった些細なことにすら
I never took the time
全然時間をつかわなかった
You are always on my mind
いつも僕の心の中に君はいたのに
You are always on my mind
いつも僕の心の中に君はいたのに

この歌詞にどうして心をえぐられるのかと言うと、この曲が主人公の幼少期に流行っていた曲であると同時に、失われた両親に対するメッセージになっているからです。

例えば『パルプ・フィクション』におけるDick Daleのテーマ曲と同様、音楽が映画にとって重要なファクターであることが分かる象徴的なシーンになっていると思います。

この映画ではペット・ショップ・ボーイズのAlways on My Mind以外にも、80年代を象徴する曲が多く使われています。

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのPower of Love やアリソン・モイエのIs This Love?(筆者には別の人のカバーバージョンに聞こえました)。

唯一時代とズレていたのがブラーのDeath of a Partyのリミックス・バージョン(1997年)

筆者は97年にはブラーをはじめとするブリットポップ勢には飽きていた(ロックならVerveやPortisheadなどトリップ・ホップにハマっていた)のでこの曲を認識できなかったのですが、なかなかサイケな良曲だな、とブラー自体を見直してしまいました。

90年代のポップカルチャーは百花繚乱で、全体を俯瞰的に掘り下げる甲斐が、まだまだありますね。

蛇足ですが、この映画のクラブでの酩酊シーンに使われる曲たちはハウスやテクノではなく、ポップミュージックばかりなのですよね。笑

映画におけるクラブのシーンの扱いについては継続して考える必要があると、クラブシーンに浸かっていた残党である筆者は考えています。

また、全編を覆うスピリチュアルでアンビエントなサントラもとても良いのでぜひ一聴してみてください。作業が捗ります。笑

アンドリュー・ヘイ監督

この映画のパンフによると、監督のアンドリュー・ヘイは、撮影に実際に自分の生家を使用したとのこと。

いつか映画を作りたいと考えてる筆者も同じアイデアぼんやりと考えていたので、大変悔しいのですね。笑

そこで家にあるレコードがフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドだったりして、12歳の設定にしてはとてもゲイゲイしいな、と思ってしまいます。

監督と同世代の筆者が10代で初めて手にしたレコードはワム!の「Make It Big」でしたので、ヘイ監督はマセガキだったに違いありません。

アンドリュー・ヘイはHBOのドラマシリーズ「Looking」や映画「Weekend」も手掛けており、どちらも美麗なビジュアルとエモーショナルな脚本が大変見応えがあり、どちらもオススメです。

上記2本とも簡単に見れない状況かもしれませんが、配信で見つけた際にはぜひ。

なぜオスカーレースに残れなかったのか?

映画を見終わって、この映画が『オッペンハイマー』以上に2023年を代表する映画であるとの確信を持った筆者ですが、大きな疑問が残りました。

それは、「特定のジェンダーを扱うジャンル映画に留まることなく、ここまで普遍的なテーマを扱い観客の感情を揺さぶる映画が、どうしてアカデミー賞までのオスカーレースに残れなかったのか?」という問いです。

ファクトチェックをしたところ、オスカー前哨戦のゴールデングローブのドラマ部門にはインディ映画枠かつダイバーシティ枠で『パスト・ライブス』、イギリス映画枠で『関心領域』が選ばれているように見えます。

『パスト・ライブス』は『異人たち』と同じくインディ映画かつダイバーシティ(韓国系アメリカ人2世)を扱った映画ですが、こちらも普遍的な人間の感情を扱った良作です。

同じダイバーシティでも男女間の恋愛感情を扱った『パスト・ライブス』の方が共感を呼び、最終的に軍配が上がったように見えてしまうのが少し残念ですね。

『パスト・ライブス』を外して『異人たち』を入れた場合には『関心領域』に加えイギリス映画が2本になるという配慮もあったかもしれません。

いずれにせよ『異人たち』は、上記のオスカー映画に負けず劣らず人間の「在り様」を描いた優れた映画であることは強調しておきたいと思います。

マイノリティ=悲劇という構図の是非

最後に、同性愛映画としてこの映画を観た際にどうなのか、という点について考えてみたいと思います。

筆者が強く思うのは、マイノリティを悲劇の主人公として扱い、マジョリティからの理解を求めるような作品を連ねるのは、そろそろ終わりにしないか、という点です。

マイノリティを扱った映画というと、最近ではオスカー作品賞を獲った『CODA』が思いつくのですが、この映画は、聾唖家族を前向きに楽しく描いており、たとえ観客が聾唖者ではなくとも共感を呼び、観ていて気持ちの良い快作に仕上がっていました。

しかし、同性愛を描いた映画というと、アン・リー監督がオスカーを獲った『ブロークバック・マウンテン』(2005年)以来、20年後の今もマイノリティ=悲劇という構図から脱却できていない気がします。

異性愛者に生まれるか同性愛者に生まれるか、9:1の確率で選択することのできない人生ガチャだとすると、あまりにも多くの同性愛者に対して希望がない状況ではないでしょうか。

マジョリティだとかマイノリティだとかを意識することがなく、いろいろなバックグラウンドを持つ人が等しく人生を楽しめ、将来に等しく希望を持てるような映画が観たいですし、そのような社会が実現することを願っています。

白々しく聞こえる正論を吐くのは苦手なのですが(笑)、一応、筆者のすべての視点は網羅できたかと思いますので、この辺にしておきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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