映画「シヴィル・ウォー」のネオ・リアリズムと戦争エンタメの間に横たわる不穏な闇
秋の怒涛の注目作ラッシュの中、先日ようやく「シヴィル・ウォー」を見てきました。
古くは「28日後」のホラーシリーズ、最近では「エクス・マキナ」や「アナイアレーション」という秀逸な新世代SFホラーを撮ってきたアレックス・ガーランド監督の新作です。
最近ディープ・ステイトなり、軍産エスタブリッシュメントと呼ばれている米民主党を中心とする既得権益層と、トランプが代表する保守主義者の対立によりアメリカ合衆国が分裂するというこの映画のシナリオは、一部の政治評論家が唱える見解とも一致しており、米大統領選前の絶妙な公開タイミングとなりました。
この政治的な背景がどのように描かれているのか、どうして内線状態に陥ったのか、の描かれ方に筆者は大変興味があったのですが、フタを開けてみるとそのような政治的背景は映画の前提として埋め込まれているだけ。全体の構造は戦場写真家の友情を中心にしたロードムービーで、少し拍子抜けしてしまいました。
ただ、保守主義的な人種差別の描写や、戦争の中で喪失していく人間性の描写は心底ゾッとする内容で、ロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」に始まる戦争三部作に代表されるイタリアのネオリアリズムやら、キャスリン・ビグローの「ハートロッカー」「ゼロ・ダークサーティ」などを思い出しながら見ていました。
映画を見終わって改めて思うのは、この映画は戦争の中で失われていく人間性を描いた映画なのか、戦争をエンタメ化する好ましくない映画の、一体どっちなのかという命題。前述のキャスリン・ビグロー諸作でも感じることなのですが、おそらくその両方なのでしょう。
この映画のうまいところは、エスタブリッシュメント層と保守層のどちらが正しいかの政治的な価値判断を、絶妙に避けているところだと思います。
良く言えば現在の世の中を醒めた目で観察するドキュメンタリー的作品、悪く言えば戦争をエンタメ化する好ましくない作品。観客にそのような問題提起をする優れた映画として一見の価値ありと思いました。より恐怖を体感するために、映画館での鑑賞がおすすめです。