漫画におけるアントニオ猪木の歴史 04 (1990年代)
国会議員になったことでプロレスラーとしての活動が減少した 90年代。
プロレス界は長州や鶴田のさらに次の世代である闘魂三銃士 (新日本) や四天王 (全日本) らが活躍する一方で、K-1 や PRIDE といった格闘技イベントが相次いで開催され「プロレスラーは本当に強いのか?」という疑問に答えを用意する必要に迫られていた。
そんな中、ライバル関係にあったジャイアント馬場が 61歳の若さで逝去する。
1990年(H2年)
アントニオ猪木 46歳。9ヶ月のブランクを経て蝶野、橋本とタッグ戦「もうお前らの時代だ」と認める。
12/1 イラクで新日本プロレスの興行「スポーツと平和」を行い、サダム・フセインによって人質状態にあった日本人 41名の解放を実現。
1991年(H3年)
UWF (新) 分裂。
新日本プロレスでは蝶野正洋が G1制覇。全日本プロレスでは三沢光晴がジャンボ鶴田からギブアップを奪う。
1993年(H5年)
4/30 『K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』開催。
9/21 パンクラス旗揚げ。秒殺が連発される新たな価値観の興行となる。
11月 アメリカで UFC 第一回大会が開催され、ホイス・グレイシー (柔術) が優勝。
1994年(H6年)
1/4 天龍源一郎にピンフォールを奪われる。
ファイナルカウントダウン宣言。
5/1 ファイナルカウントダウン第一弾 グレート・ムタ戦。
12/7 安生洋二 (UWFインター) がロサンゼルスのヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛け、返り討ちにあう。
1995年(H7年)
4/20 バーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップ Ⅱ ジャパン・オープン 1995 において、山本宜久 (リングス) ら日本人レスラーが次々とヒクソン・グレイシーに敗れる。
5/1 北朝鮮でリック・フレアー戦。
1997年(H9年)
4/12 小川直哉 vs 橋本真也の異種格闘技戦が行われる。
10/11 PRIDE-1 で高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗れる
1998年(H10年)
4/4 アントニオ猪木引退記念試合。トーナメントを制したドン・フライと対戦。グラウンドコブラツイストで勝利を飾る。
1999年(H11年)
1/31 ジャイアント馬場、死去。
11/21 PRIDE-8 で桜庭和志がホイラー・グレイシーを破り、日本人初のグレイシー狩りを果たす。
政治家、あるいはプロレス界のフィクサーとしてとしての活動が多くなった猪木だが、漫画の世界では 70年代に青春時代を過ごした板垣恵介(1957年生)、猿渡哲也(1958年生) らの手によって「プロレスラーとしての強さだけでなく、リング外も含めて手段を択ばないダーティーさを併せ持つ」アントニオ猪木が描かれた。このイメージは強く広まり、以降のアントニオ猪木像のスタンダードとなった。
90年代はデスマッチ路線で “涙のカリスマ” と呼ばれた大仁田厚も一部で熱狂的な支持を集めておりこの頃の漫画にも本人をモチーフにしたキャラクターや、必殺技のサンダーファイヤーパワーボムが散見された。
60年代のアントニオ猪木
70年代のアントニオ猪木
80年代のアントニオ猪木
2000年代以降のアントニオ猪木
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?