出せない話
とても悲しくてつらくなった。
つらいついでに、「うるさい」「泣けば許されると思うな」「お前の顔なんか見たくもない」...などなどの、子供の頃に言われたことまで思い出して、余計に沈んでしまった。
言い放たれたことばそのものは、当時の親子関係の中ではさほど珍しくなかったと思う。
まだまだ体罰が普通の時代に、ほとんど手はあげられなかった。その分だけマシなのかもしれないが、その背景にあったことは、いい大人になった今でも私を簡単にボコボコにして沈める。
『その背景にあったこと』は形を変えてたまにやってくる。正確には私が招いてしまっている。周りを見ていると、どうやら世の中の人間関係の大多数に絡んでくる問題のよう。
私たちに圧倒的に欠けているもの。
残念ながら解決方法はまったくと言っていいほど見当もつかない。
『人間関係』というだけあって、自分一人でどうにかなることではなく、他者の協力が必要になるから。
解決方法が見つからないことにいつまでも時間を費やすのはムダ。さっさと放棄してしまえばいいのに、なんとかしてみたい感情がまだ少なからず残っている。贅沢な時間の浪費。
約15年振りの儀式を行いながら考える。やっぱり、あの時からさほど変わってもいない。望んでいるものが変わらないからなんだろう。
出せない話の中でもぎりぎり出せるとしたら、私も人の子だと知ってほしいということ。私も人並みに傷つくという話だ。
それなりに心は乱れるし、折り合いをつけるために相応のエネルギーを消費する。
ちょっと人より頑丈にできているせいで雑に扱われがちだけど、紛れもない人間なんだ。
それを分かってくれているなら、ぜんぶ受け止めようと思う。
私が人間と理解した上で傷や混乱を与えてくれるなら、それを自然現象と思うよ。