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狡猾な私も結局はあなたに認められたかっただけ

こじらせの根っこはどこに

平凡に生きてきたなぁと思ってた。特に大病を患ったり大きな挫折を味わうわけでもなく、そこそこ楽しく。
でも、ある時、自分にもいっぱしに苦悩らしいものがあって、本当につらいことは半ばなかったこととして扱ってたことに気づく。
次第にぼんやりとしてた問題の根っこが見えてきた。
あれ、もしかして、今がそれを掘り起こして未解決事件を解決させる時期なのでは?
と、半年ほどの準備期間を経て、いよいよ重い腰を上げた先日、こんなTweetをした。

深刻にはしないつもりだったのに、かなり匂わせな感じになってしまった。そして事件だなんて穏やかではない単語をつかってしまったんだけど、本当に犯罪被害者でもあるから仕方ない。被害者、いやなコトバ。
後半はもっとポップにしてるけど、ごちゃついてまだ未完成だから、並行してメモの中からピックアップして解決させよう。ものすごくしんどいけど、一つひとつ供養するようなことが必要なんじゃないかと。

たぶん歪みのはじまり

私には人が言ってほしそうなことを無意識に探して話す癖がついている。
空気を読んで話を振ったり、あまり親しくはないけれど明らかに元気のない人に声をかけてみたり、下手すると優しいと思われてしまうようなこと。
「無意識に」といっても、それは自然に行動しているのではなく「そうした方がいい」「そうすべき」という強い固定観念の表れ。だから、優しいと思われることには罪悪感をともなったりする。
いつの頃からか体に染みついてしまった習性。どうしてこうなっているか遡ってみた時、幼少期の問題と重なった。

小学校1, 2年の頃、担任の先生はベテランで、入学式の日に保護者たちが喜んでいたのを覚えてる。親が喜ぶから私たち子どもも喜んで、すぐに先生に懐いた。
先生の年齢は誰も確認したことがなかった。だから私の印象になるけど、50歳前後。一人暮らしで、インコを何匹か飼ってた。ベテラン教員なので基本的に子どもの扱いに慣れてたはずで、でもベテランが故のクセというか、たまに意地の悪さを感じることもあった。

ある日の授業参観の後、

「先生が、いつもすぐ手を挙げてくれるのにあまり当ててあげられなくてごめんって言ってた」

そう母から告げられた。
どうやら、私がすぐに答えを言うから他の子が考える時間がなくなるとか、なるべく平等に当てたいとか、わざわざそういう話をしたらしい。
授業はそういうものだと思っていたから特に気にしていなかったのに、そんなことを言われてちょっと不服だった。当時相当生意気だったので「甘く見られた」とか思ったに違いない。
それに、ごめんと思うなら私に直接言ってくれればいいのに、わざわざ母経由で伝えられたことが一番すっきりしなかった。
私もそのモヤモヤを先生に伝えなかったから、おあいこなのか?
何にしろ、このことがきっかけで科目次第では回答を複数用意するようになった。

先生に指された時の状況から考えて、正解を言うか、先生が好みそうなちょっと変わった答えを言うかのゲーム。
小学校低学年の授業とはいえ、たまに本気で間違えるのだけど、その時は「期待はずれだった」という顔をされたと思い込んでいた。たぶん被害妄想なんだけど、真相は今もわからない。

自分の意見をはっきり言うことや人とどこか違うことは、約30年も前となると今よりもさらに難しくて、一般的には摩擦を生むことも多かったと思う。でも、その分内容によっては面白いように大人のウケがいいのを知ってしまったので、私は彼らの欲するものを惜しみなく与えていった。
(自分の中では完全に「与えた」イメージ。自分がコントロールしていると思い込んでいた。)

「こういうのが聞きたいんでしょ、どうせ」
「まだ足りないの?いや、まだあるけど」
「ねぇ、他の子は何やってるの?自分の考えはないの?」

目的のためには手段を選ばないというけれど

心の中でそんなことを思ってる可愛さのかけらもない私に友達はみんな優しかった。学校や家庭で教えられる「みんな仲良く」のための優しさと、たぶん私が怖かったからだ。だからイジメられることもなかった。当然私も「みんな仲良く」しなければならないと思ってたから、クラス全員と話すようにしてた。

先生の欲するものの中には「集団行動を滞りなく遂行すること」も含まれる。学校だから当然。クラスにまとめ役のような子は数人いて、私もその1人だったけど、それはそれはひどい有り様。
決められたことは絶対にその通りにしたくて、クラスメイトに上から厳しく接することはしょっちゅう。いや、そんな可愛いもんじゃない。例えば、話を聞いてほしい時に周りがなかなか静かにならないと、そばにある椅子を蹴ったり投げたりして大きな音を出す。何度も大声を出すのが好きではなかったし、それが効果てきめんと知ってたから。その後は何事もなかったかのように淡々と話をはじめる。
たまに暴れてる子がいると、和を乱すからという理屈で逆に張り倒したりもした。サイテーな考えだけど柔道とかやってたらいい線いったんじゃないかな。(今はすっかり丸くなりました)

こんな行動を人から咎められることがなかったのはどうしてだろうと後になって考えたことがある。
クラスメイトはきっと私が怖かったし、先生はというと、たぶん知ってたんだ。知っててこんな恐怖で人を押さえつけるような方法でも「集団行動を滞りなく遂行すること」ができるなら良しとしてたんじゃないか。
先生と私はきっと共犯だった。

知っていて何も言ってもらえなかったことはまだまだある。
note的にはこういうのは端折ったほうがよいのだろうけど、この際だからもう少し放出してみる。これは過去の私の事件解決と供養のためだから。(2章飛ばしても繋がります)

将来の夢は何でしたか?

ある日の放課後、クラスメイト何人かとバス待ちがてら遊んでいた時、先生が通りかかった。そしてなぜか将来何になりたいのか聞かれた。

「いい高校に行って大学に行って公務員になる」

そう返したら「いい高校ってどこ?」と、すかさずつっこまれたから、当然とばかりに地元の進学校の名前を挙げた。(念のため補足すると、田舎では大企業に勤めるチャンスがほぼないので公務員が理想とされがち)

話してる途中で「あ、間違えた」と思ったけど遅かった。先生は意味ありげに微笑んでからいなくなった。
私が話した将来は親や親戚が良しとしていた将来だ。機械のように話す私を見て先生は当然それを見破ったのだろうけど、それを諭すでもなくその場からただいなくなった。
「聞いといてコメントなし?」なんて、当時の私が言うわけもない。答えを間違えた、しかも自分の意思でもない答えを言っておいて間違えたショックに完全に意識が持ってかれた。

「先生なら私がこうなることがわかってたよね?そんな答え何か違うって気づくって。だから何も言ってくれなかったの?
でも、この答えで喜ぶ人もいるんだよ。それに私は自分が将来やりたいことがさっぱりわからない。何かヒントをくれてもいいんじゃない?」

「私まだ1年生だよ」

賞をとったら喜んでくれますか?

他に先生が欲しがるものとして「コンクールでの受賞」があることは疑いようもなかった。
子どもが自分の個性を発揮して創作してくれるのが一番と、本気で思ってる先生がどのくらいいるのか興味がある。いや、思ってはいるけど、自分の教え子が賞をとってくれたらなお良しなんだろう。それとも、これも私の妄想?

外遊びがあまり好きではなかったから絵はよく描いていた。得意と言えるほどでもなかったけど、少し大人っぽい絵を描くことを自覚してたので、コンクールに出す絵を描くことになった時に少し困った。実力を尽くすと中途半端で面白みのない絵になってしまう。
ものすごく上手いか、ものすごく下手(子どもらしい粗さがあるか)じゃないと賞はとれない。だったら、ものすごく下手な方に振り切ろう。そう思って故意に子どもらしいアンバランスな粗い絵を描いた。
目的が絵を描くことではなく賞をとることになっていることに何の疑問もなかった。
こういうことは同じ様な経験がある人もいるんじゃないかと思う。期待に応えようとして自分がやりたいこととは違うことをしてしまう。誰に頼まれてもないのに。あれ、そもそも期待なんてされてたんだっけ?

「大人ってこういうの好きだよね。人の顔が極端に大きかったり、現実にはありえない感じ」
「ほらね。市で特選だって。大人って単純」
「ところで先生、私のいつもの絵じゃないって気づいてたよね?これ、どう思ったの?」

今の私が子どもが純粋に楽しんで創作したものを見るのが好きなのは、自分の後悔から来ているところが大きいのだと思う。その瞬間のみ、子どもの自由な発想から生み出される作品は尊い。それだけで、褒めすぎるということはないくらい褒めるに値する。

その労力を他に向けていたらどうなったんだろう

そんなこんなで日々余計なことに頭を使ってたから、心身の消耗も激しかった。実際、誰もいない家に帰り、玄関で電池切れして座り込み何十分も動けないようなことが度々あった。ただぼーっと一点を眺めて過ごすのだ。
2歳年上の姉が帰ってくる時間が近づいてようやく動き出す。子どもながらに、それが異常でなんとなく人に知られてはいけないことだと思ってた。
よく、どうやって友達からの遊びの誘いを断ろうかとも考えてたのだけど、友達と遊ぶのが楽しくないというよりただただ疲れてたのかも。

そうして疲弊した様子を隠して過ごしても、まれに綻びが出たりする。
学校で急に何かが決壊したように泣き出して何時間も止まらなくなった。きっかけとなる何か嫌なことがあれば回復も早いけど、何が悲しいのか、つらいのか、まったくわからない時は混乱してそれで余計に止まらなくなった。
クラスメイトは心配して代るがわる声をかけてくれた。それでも心を開かない私に文句を言うでもなく、そっとしておいてくれた。自分でもどうしたらよいかわからなかったから、それがありがたかった。
みんなだって腹のうちはどうだったかわからないけど、私ほど狡猾ではなかったはず。大人になってから何度も思ったのは、私もみんなのようになりたかったということ。

この時先生がどうしてたか?
心配して相談に行ってくれたクラスメイトに「放っておきなさい」と面倒そうな顔をしてこたえてた。
このときのことを思い出してきづく、

そうか、私はずっと先生のことが嫌いだったんだ。親に信頼され、子どもにも好かれている先生を自分も好きだと思い込んでただけなんだ。

あー、そういえば私、先生との楽しかったこと、ひとつも思い出せないや。 


見てのとおり、先生と私はあまり会話らしい会話をしてこなかった。今回の話もほとんど私の憶測からもたらされたもの。
もしかして、壊れたように何時間も泣き続けたら先生は私と対話してくれるんじゃないか、そう思って体が悲鳴をあげたのかもしれない。

「先生はどうやったら満足するの?」
「私はどこまでやればいいの?」
「私、先生に褒められたこと、あったっけ?」

素直に「ほめて」と言うような子どもならよかった。
私は褒めてほしかったのかどうかもわからない。先生や大人を敵のように思い、彼らを負かしたかったという気持ちの方がしっくりくる。結局はどちらも「認められたかった」ということなんだろうけど。

なんだ、めちゃくちゃ普通。こんな狡猾な小1の自分も、結局はただ先生に認めてほしかっただけなんだ。それだけのこと。

小学校1年生の自分へ

これを書くのは昔あったことをただ整理整頓するような作業で、感情が揺れるような事はほとんどなかった。
書きながら、これまで慕っていたと信じて疑わなかった先生をちゃんと嫌うことで何かが変わるんじゃないか。そんなことを考えた。

でも、やっぱり嫌うだけじゃなく先生に会わなくてはいけないと思った。そしたら急に涙が出てきた。答え合わせをする勇気がなくても、先生は私をどう思ってたのか聞いてみたい。私を覚えていない可能性もあるし、ご健在かどうかもわからない。それでも、一度でいいから本当の対話がしてみたい。
先生を嫌いなまま終わりたくないんだ。

人を嫌うことがこんなに勇気のいることとはしらなかった。

ましてや一度嫌いになった人との対話がどんなものになるのかは未知数だけど、がんばってくるから、もうちょっと待ってて。


蛇足)
あぁ、書いて供養して一つ事件解決できると思ったのに、とんだことになってしまった。先生に会うまで継続。
会いに行くのはすごく怖い、でも、必要。どうしても足が向かないなら一人で行かなくてもいい。可愛くて、こういうときは黙って協力してくれる幼なじみがいるから。(次は彼女の話かな…)

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