辛さを、抱きしめてあげる
昨日、Twitterでトレンドに"磯野貴理子"が上がっていた。
なんとなく見てみると、朝のテレビ番組で彼女が話していたことが話題になっていた。
辛抱と我慢は違うんだって
人間って我が強いから、我慢ってすごくしにくい
我慢しろって言われると、ちょっと我が出ちゃうから、すごく辛い
辛抱はできるんだって、人って
辛抱は漢字で書くと『辛さを抱く』って書くの
だから、辛抱しろっていうのは、辛さを抱きしめればいいのよ ぎゅって
なんかできる感じがしない?辛抱って
ちなみに「辛抱と我慢は違う」というのは、石倉三郎さんという俳優さんの『粋に生きるヒント』という本に出ていた言葉らしい。
これを見た時、なんだかストンと落ちた。
なんか、最近の騒動の中で"我慢"っていう言葉にずっと違和感があった。
その言葉を聞くたびに、なぜだか抑圧されていく感覚があった。
わたしはもともとかなりの引きこもりっぷりで、ぜんぜん家にいるのが苦痛じゃないのだけど。「外に出ないでください!」って言われると、なんだか、とても苦痛に感じる。
自分の意思で行動してるのに、誰かから指図されているような感覚になるから、窮屈に感じてしまう。
宿題しようと思ってた時に「早く宿題しなさい!」って言われるのがすごく嫌いだったことを思い出した。自分でもめんどくさい性格だと思うけど。
でも、「家にいなきゃいけない」じゃなくて『わたしは家にいていいのだ』と考えるようになってから、気持ちがとても穏やかになったのだけど。
なんか、人間はとても"自由"ということを求めることに縛られているような気がする。
王政からの離脱とか、百姓一揆とか。
だから、押さえつけられる感覚の"我慢"という言葉には、ある種のアレルギー反応みたいなものをしちゃうんじゃないかな。
辛抱って、聞くだけだとなんだかじっと耐えなきゃいけない感覚があったのだけど、言葉を紐解くと『辛さを抱く』って書くんだね。
言われて改めて気づいた。
うん、辛抱ならできる気がする。
耐えるんじゃなくて、抱くんじゃなくて、抱きしめてあげる。
自分の辛さを抱きしめてあげる。ぎゅっと。