彼にとっての天ぷら、私にとっての時計
2021年11月11日、親友の結婚式に出席するため、5年ぶりに博多に降り立った。2022年をどんな年にしたいかをより具体的にイメージをもつ上で、この旅で感じた感覚を起点にしたい気持ち。そして、1/1にnoteを書くの恒例行事にしたい気持ち。
今回の結婚式は、前回沖縄で結婚式の旅をした際の「新郎」と「新郎じゃない方」が入れ替わった形だ。
博多か〜まぁ悪くないなぁ。(前回記事参照)
我々3人が集まるのは、沖縄の結婚式の旅以来で4ヶ月ぶりである。ふふふ、あの頃の俺とは違うぜ(前回の写真で自分が太りすぎていることを反省して5キロ痩せた)
おさらいすると高校の友人3人組で、大学生の時も旅行に行ったり、年末年始に地元神戸で集まったり、という仲間達だ。
人生でもそう多くいない大切な友人達は、2人とも同じ年次の医師であり、結婚するタイミングや挙式をあげるタイミングも似た時期になった。
自分とは違う時間軸で生きていて、常に自分より先をいく2人の大切な友人の結婚式が、2021年はどちらも開催された格好だ。
そして、今回も過去の積み上げと未来への包容力に溢れた、本当にほんとうに豊かな時間になった。
5年前と同じくクリスマスマーケットが開かれていた博多が、5年前とは違って、彼ら夫妻のおかげで特別な地になった。
11/12〜結婚式前日〜
特に今までの思い出を語るでもなく、僕らはいつものように最近困っていることをシェアしたり、医者あるあるを話していたり。いつものごとく、新郎じゃない方の「Apple製品のプレゼン」が始まっていた。
印象的だったのは、新婦が結婚式を楽しみにしている様子が身体中から溢れるように放たれていて、それを感じ取れたこと。新婦とはあまり会話をしたことがなかったが、少し人間性を垣間見えた。
何かを楽しみにしている人を見るのはいつだって幸せだ。
新郎じゃない方と私用に、新郎が素敵なホテルを予約してくれていて、贅沢な時間を過ごさせてもらった。
11/13〜結婚式当日〜
受付を担当する我々は、10時の会場集合に遅刻しそうになっていた。小走りで会場に向かう我々は、写真をとる2人女性の横を通り過ぎた。
新郎側の受付であることをホテルの方に伝えた我々は、新婦側の受付の方と合流して、別の場所に案内された。新郎に名簿をもらいに行くためだ。
エレベーターの中で、新婦側の受付の方にご挨拶したら「さっき走ってましたよね」と声をかけられた。先ほど横目で見た写真を撮っていた若い子達だった。
おじさんが遅刻を防ごうと小走りし、若い女の子達は場を十分に楽しみ写真を撮っている。4人全員が数分遅刻している同じ結果だが、過程があまりにも恥ずかしい。
新婦側の受付の2人は、前職の後輩だとのことで看護師さんだった。7個下の令和のギャルから、写真を撮るときのポーズを教えてもらった。5歳以上年下の子達を見ると、このまま真っ直ぐに育って欲しいと願ってしまう自分の悪い癖が出た。
結婚式や披露宴は素晴らしい時間だった。新郎側は、友人は我々2人だけで、その他は全員親戚だった。結婚式にしては、みんなテンション高くて高まりを抑えきれていないような姿が印象的だった。親戚の結婚式って楽しいよね。
新郎じゃない方の友人がメガネをホテルに忘れ、急いで取りに帰ったのだが、友人が結婚式場から急いで出てきたために「ドラマみたいに、結婚式を土壇場で逃げ出し、走ってきた人」と、タクシーの運転手さんに間違われたのは一生忘れない思い出になった。
感情をあまり表に出す印象がない新郎は、一番の泣き虫で、挙式から披露宴までかなりの回数泣いていた。歳をとると、他人に感謝する気持ちが芽生え、お世話になった人々と目が合うだけで涙腺が緩むのを私も知っている。
「階段を戻れる医者であれ」という格言は乾杯の挨拶で、新郎の親戚(医師)が言っていた一言である。今日も仕事が終わり帰ろうと階段を降りているときに、少しでも不安に思い・心にひっかかることがある場合は、踵を返し、患者さんのところに足を運べる、そんな志を持った医師になってほしいという意味のことだそうだ。
大先輩がここで一つの言葉をチョイスし贈ってくれた背景を想像できるようになっただけ、大人になったねと感じた。涙を堪えている彼をみて、スピーチ内の同じシーンで感動した私は、彼と同じ感覚を持てていたことに安堵の気持ちがあった。
結婚式も披露宴が終わり、ホテルに帰り、新郎新婦とまた合流した。全然食事が取れなかった新郎新婦とラーメンを食べ、その後我々3人と新婦で別れた。新婦は大学の友人達と集まることになっていたらしい。
3人になったが、我々は結婚式の後でもあまり高まりすぎることはない。もはや、政治とか税金とかジェンダーの話とかを各々どう捉えているのか?という話になっていた。(あんま覚えていない。)
大学時代の友人を連れてきた新婦側と23時くらいに合流し、程なくして解散になった。
新婦側の友人とたくさん話す機会があり、久しぶりに「友人の友人と、友人になる」機会があったことも、福岡を感じさせる要因になった。(方言を聞いたわけではないのだが。)
白い街〜クリスマスマーケットと白い音〜
実は今回、11/11〜11/24まで2週間も九州に滞在していた。(大学の友人との鹿児島旅行も合わせて、長期滞在していた。)
2週間ずっと博多駅ではクリスマスマーケットが開催されていた(多分)。5年前に来た博多と同じ営みだった。以前訪れた際には、実は良い記憶にならなかったが、今回で記憶が上塗りされた。(もちろん博多のせいではない。)
こうやって、大切な人と大切な時間を過ごす場所が増えていくのが、歳を重ねる幸せの一つなのかもしれない。
無関心なふりで、無表情を貫いて
彼らは大学1年生から医学部医学科に通い、将来医師になることが約束された一本道を歩んできた。(厳密にいうと違うけど、多くの選択肢はない人生を歩んできたことは確か。)
どんな業界・業種でもOKな就活をゼロから始め、理系の大学院から、マーケ支援を行うベンチャーに入社し、コーチングの仕事をするフリーランスとして一年を過ごしてきたわたしほど、人生の選択肢は多くなかっただろう。
今回結婚式の時期がほぼ似ていたのも、彼らの職業だと結婚するタイミングというのが実は絞られていることが起因している。
では、彼らは自由がなく不自由に過ごしているのかというと、一切そんなことはない。まごうことなく、自分の手で選択し、自分の人生を作り上げている。そして、涙が止まらないほどの幸せを噛み締めていた。
近年、レールに乗ることは意志がないと下に見られたりするが、そんなことはない。レールに乗るものは、レールに乗る権利を自分で獲得しているし、これは人によるがレールに乗る覚悟を持っている。また、レールから外れるのに労力が必要なことに不便さや苦しみを感じてもいる。
彼らは、いつだって幸せのかたちは決まっていないことを体感させてくれる。
そんな私を省みると、生きていく上で大切だとはもちろん思っているんだけど、でも、ピンと来ないから、無関心なふりをして目を背けているものがある。
守ろうとしたら握りつぶしてしまうような怖さを感じて、無表情を貫いているしまっている瞬間がある。
でも、彼らを見ると、もう自分も向き合っても大丈夫な気がした。柔らかく踏み出せる気がする。実はもう少しずつ輪郭が見えてきている。
人生の中で本当に大切なものは、彼ら2人がいつも私よりも先に対峙して、そしてその背中で見せてくれた。2012年の三人での四国旅行が一番衝撃的だけど、その時に近い感覚があった2021年だった。9年の時を経て、また彼らが大切なことを教えてくれた。
2022年は、ここ数年、目を背けていた大切なものと仲良くする一年にしようと決めた。その準備は実はもう整っているし、覚悟も持てていることが、伝わってきている。
願わくば、溶け合っているような状態であろう。
彼にとっての天ぷら
結婚式でよくある新郎新婦自己紹介パンフレット?の中で、「え、初めて聞くけど???」とびっくりした項目があった。
新郎の好きな食べ物が天ぷらになっていた。我々2人は、13年来の友人だが、そんなことは初めて聞いた。
実家に帰ったときに「今日食べたいものある?」と聞かれると、天ぷらとリクエストを出すことはあるけど、友人と天ぷら食べに行くってあんまなくないか?という話になった。
これだけの友人でも知らないことはあるし、彼にとっての天ぷらは「好きだけど、わざわざシェアするほどでもないこと」なのだ。そういった事象は、世の中にたくさんありそうだな〜と少し興味が沸いた。すぐに頭をよぎったのが、ある時計のことだった。そうか、彼にとっての天ぷらと、私にとってのあの時計が同じ似たようなものなのか、と気がつき途端に腹落ちした。
2022年は、東京に帰ったら、この「止まってしまった時計」を修理しにいくところから始めることにしよう。部品がなくて高額になるのであれば、その時は、この時計を捨てて、新しい時計を買うことにしよう。そうして、止まったままの時間を動かそう。
2022年は大切なものとしっかり向き合う年にすることにしたので、まずはこの時計と向き合うことから始める。
でも、私にとってこの時計は、彼にとっての天ぷらと同じようなものだから、わざわざシェアするほどのことでもない。そう、たったそれだけのことだ。
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