【百年ニュース】1921(大正10)7月19日(火) ノーベル医学賞ロサリン・サスマン・ヤロー(Rosalyn Yalow)がニューヨークのユダヤ人家庭で誕生。放射性同位体追跡の技術を開発。1977科学分野で初めてノーベル賞を受賞した米国人女性となった。ノーベル賞全体としては6番目の女性である。2011没,享年89。
ノーベル医学賞ロサリン・サスマン・ヤロー(Rosalyn Sussman Yalow)がニューヨークで誕生しました。ユダヤ人家庭に生まれ,父はサイモン・サスマン、母はクララ・ジッパーでした。
地元のワルデン高校で物理学に興味をもったロサリンは、コロンビア大学で著名な生物化学者であったマイケル・ハイデルベルガーの秘書となり、1941年1月にニューヨーク市立大学ハンター校を卒業しました。
この年の12月に日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まると、多くの男性が徴兵され、科学分野のアカデミーでもポストに空きがでるようになりました。ロサリンは、イリノイ大学のアーバナ・シャンペーン校で物理学の指導助手に職を得ました。彼女は部局400名のスタッフのうち、唯一の女性でした。1943年イリノイ大学在学中に、ユダヤ教指導者ラビの息子だったアーロン・ヤローと結婚。のち2人の子供をもうけました。
1945年に博士号を取得するとニューヨークに戻り、ブロンクスの病院に勤務しつつ、放射線医学部門の立ち上げに参加しました。そこでロサリンは、放射性同位体追跡の技術を開発に成功することとなります。
そして1977年、科学分野では初めてノーベル賞を受賞した米国人女性となりました。ノーベル賞全体としては6番目の女性になります。ロサリンは2011年3月30日、地元ブロンクスで死去、享年は89歳でした。
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