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【百年ニュース】1921(大正10)10月26日(水) 米国の作家フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)と妻ゼルダ・セイヤーに一人娘スコティーが誕生する。スコティーはジャーナリストとして『ワシントン・ポスト』等で活躍。1986没,享年64。メリーランド州ロックビル墓地で両親の傍に葬られた。
米国の作家フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)と妻ゼルダ・セイヤーに一人娘スコティーが誕生しました。
1920年3月26日にフィッツジェラルドの小説『楽園のこちら側(This Side of Paradise)』が出版されると初版3000部がわずか3日で売り切れ、結局5万部が売れるベストセラーになりました。フィッツジェラルドは恋人のゼルダに電報を打ち、その週末にすぐ結婚式を挙げようと持ちかけました。そして4月3日に二人はニューヨークのセント・パトリック大聖堂で結婚しました。
そして翌1921年には一人娘のスコティーがミネソタ州セントポールで誕生します。小説『グレート・ギャツビー』で登場人物デイジー・ブキャナンが、自分の娘に向かって「美しいちょっとお馬鹿さん(beautiful little fool)に育ってほしい」と言う場面がありますが、これはスコティーが生まれたときにゼルダが言った言葉だとされます。
どうかお馬鹿さんでありますように——可愛いお馬鹿さんになるのが、女のいちばんの幸福なのよ
F・スコット・フィッツジェラルド著、大貫三郎訳『華麗なるギャツビー』角川文庫,1957
スコティーはコネチカット州の寄宿学校エセル・ウォーカー・スクール、のちヴァッサー大学に進み1942年に卒業していますが、大学在学中であった 1940年12月21日に父のフィッツジェラルドが心臓発作により、わずか44歳で死去してしまいます。
のちスコティはジャーナリストとして『ワシントン・ポスト』や『ザ・ニューヨーカー』で活躍し、晩年は母ゼルダの実家があったアラバマ州モンゴメリーで過ごしました。1986年に享年64で死去すると、メリーランド州ロックビル墓地にある両親の傍に葬られました。
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