【百年ニュース】1921(大正10)8月21日(日) 旧栃木大田原藩最後の藩主(第14代)大田原一清(子爵)次男の大田原秀少尉(35)が上野駅で逮捕されたとの報道が出る。秀は上野駅でかっぱらい(停車場荒らし)を繰り返し8回目の犯行でついに警戒中の私服刑事に逮捕された。名門華族の醜聞に世間の注目が集まった。
旧栃木大田原藩最後の藩主(第14代)大田原一清子爵の次男、大田原秀少尉(35歳)が上野駅で逮捕されたとの報道が出ました。秀は上野駅でかっぱらい(停車場荒らし)を繰り返し8回目の犯行でついに警戒中の私服刑事に逮捕されました。名門華族の醜聞に世間の注目が集まりました。
下野国といえば那須与一で知られる那須氏ですが、その那須氏には那須七騎あるいは那須七党と呼ばれる有力な7家の家臣がいました。そのうちのひとつが大田原氏です。
戦国時代には豊臣秀吉の小田原北条攻めに加わり、遅参した那須氏が豊臣氏によって改易されるなか、大田原氏は領土を安堵されました。江戸時代に入っても大田原藩は1万2000石と小藩ながら,一度も領地を移されることなく幕末を迎え、最後の藩主となった大田原一清は、戊辰戦争で北関東や東北の藩が会津を中心に奥羽越列藩同盟を結成するなか、いち早く薩長の新政府軍に恭順し、旧幕府方の東北諸藩より集中攻撃を受けることとなり、大田原城をはじめ城下が会津藩により焼き払われるという災難を受けましたが、その功で一清は版籍奉還後も大田原潘知事に任じられ、のち子爵となりました。
このように一清は貴族院議員でもあり名門華族の一角を占めていましたが、次男の秀は若いころから素行に問題があったようで早くから別籍、いわゆる分籍されたようです。秀は陸軍に進み、宇都宮の第18連隊で騎兵少尉で予備役となりますが、まさか家計の窮乏から上野駅でかっぱらい常習犯となり逮捕されるとは父の一清も想像していなかったことでしょう。
大田原一清は1923(大正12)年に隠居し、昭和5(1930)年10月28日に享年70で死去しました。また窃盗犯となった次男の秀がその後どのようになったのかは資料がなく不明です。
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