【百年ニュース】1920(大正9)6月1日(火)「東久邇宮稔彦王殿下には長途のお旅,御微恙だもあらせられず6月1日無事パリに御到着あそばされたり(パリ駐在陸軍武官永井来中佐→陸軍省)」5月13日に日本では王妃聰子が三男彰常王を出産。稔彦王は子の誕生を待つより渡欧を優先。
欧州滞在中は東(あずま)伯爵の仮名で過ごした。「皇族として古い因襲のなかに閉じ込められて、全く個人の自由のなかったことをしみじみと顧みて、やっと解放されたような、のびのびとした気持ちで私は日本を離れた。」東久邇宮稔彦王「青春巴里記 皇族留学生として」『文藝春秋』(昭和26年4月)
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