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【百年ニュース】1921(大正10)5月1日(日) プロ野球選手の一言多十(ひとこと・たじゅう)誕生。島田商業のエース四番で甲子園準優勝。専修大学に進むも学徒出陣で出席,海軍特攻艇部隊に配属される。戦後は東急フライヤーズ,阪急ブレーブスで活躍。のち社会人野球石川島播磨の監督に。2010没,享年88。

プロ野球選手の一言多十(ひとこと・たじゅう)が静岡県六合村,現在の静岡県島田市で誕生しました。地元の野球強豪校、島田商業に進み、1937(昭和12)春・夏、1938(昭和13)春は外野手として、1939(昭和14)春からはエースとして4季連続、計7回甲子園に出場しました。夏の大会では2年続けて決勝で、嶋清一・真田重蔵のエースを擁した和歌山県の海草(かいそう)中学校の前に惜しくも涙をのみました。

1941(昭和16)専修大学へ進学。五大学リーグでは1年春のリーグ戦からエースとしてノーヒットノーランを記録するなど活躍しました。しかし1943(昭和18)戦争のため学徒出陣し、1945(昭和20)海軍特攻艇に配属されたものの出陣しないまま終戦を迎えることとなります。

戦後プロ野球東京セネタースに進み、開幕投手を務めシーズン6勝を挙げる傍ら、野手としても規定打席到達という活躍を見せました。この年の4月29日の対中部日本戦では13のファーボールを与えながら完投勝利、この記録は1994(平成6)年7月2日、野茂英雄が西武ライオンズ戦で16ファーボールの完投勝利を挙げるまで、最多与四球勝利投手のプロ野球記録でした。

1948(昭和23)年、一言はプロ野球を引退し、社会人野球石川島播磨の監督になるなどしました。2010(平成22)年没。享年は88歳でした。

一言多十

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セネターズ

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なお一言多十投手の最多与四球勝利投手の記録は野茂英雄投手に破られました。現在は野茂英雄が最多四球完投勝利の日本記録保持者です。

1994(平成11年)7月1日に西武球場で行われました西武ライオンズと近鉄バッファローズの試合で、野茂は9回を投げ、毎回の計16四球を与えながら3失点に抑え、3対8で完投勝利しました。これが現在でもプロ野球ワースト記録になります。なんと投球数は191球、分業制がハッキリしている現代のプロ野球では塗り替えられることはなさそうです。

球審が「ボール」とコールしたのは計105回。この日3四球、2安打だった対戦相手、西武ライオンズの清原和博は「あれだけ荒れていたら狙い球が絞れない」とコメント。近鉄の鈴木啓示監督は試合後「ほかの投手にはマネできん投球やな」とコメントしました。解説をしていた星野仙一前中日監督は「疲れた」「我慢していたのは野茂ではなくて鈴木監督」とコメントしました。何をやっても型破りで、たいへん魅力的な選手です。

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