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【百年ニュース】1921(大正10)3月19日(土) 都市計画家・建築家の浅田孝が愛媛県松山市で誕生。旧制松山高校から東京帝大工学部へ。1943(昭和18)海軍に。原爆投下直後の広島の調査に当たる。戦後は建築家丹下健三の右腕として活躍。大阪万博を主導したデザイナーグループ「メタボリズム」結成した。

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浅田孝は南極昭和基地,横浜みなとみらい21など都市計画の骨格から設計した。笹原克『浅田孝―つくらない建築家、日本初の都市プランナー―』(オーム社 ,2014)は、浅田の他面的な活躍の全体像を描き出した良書。

浅田孝


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