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【百年ニュース】1921(大正10)9月3日(土) 欧州歴訪を終えた皇太子裕仁親王が横浜に上陸。原敬首相以下大臣高官が出迎え。横浜駅から御召列車で東京駅に到着すると,無蓋儀装馬車で高輪東宮御所に帰還した。沿道の至るところ立錐の余地のないほどの群衆が詰めかけ万歳の声が途切れることがなかった。

欧州歴訪を終えた皇太子裕仁親王が横浜に上陸しました。原敬首相以下国務大臣や高官が出迎えました。横浜港には大変多くの奉迎者が押しかけました。横浜駅から列車で東京駅に向かい、東京駅からは無蓋儀装馬車に乗って高輪東宮御所に帰還しました。沿道の至るところ立錐の余地のないほどの群衆が詰めかけ、「万歳」の声が途切れることがありませんでした。

ときの首相原敬は詳細な日記を残したことで知られていますが、この皇太子裕仁親王到着の際の記述を下記で確認してみましょう。

午前7時半宮廷列車にて皇太子殿下奉迎のため横浜に赴く。御召艦香取において拝謁を賜り,甲板においてシャンパンを挙げ,余発声し殿下の万歳を三唱したり。御上陸の際は御召艦小艇に殿下に陪乗したり(閑院宮殿下,宮内大臣,海軍大臣ら同艇)。殿下ご旅行中なんのお障りもなかりし恐悦を申し上げたるに,殿下は大体暑中は好まざれども,しかし健康なりなどお話中,御召艇桟橋に着く。ただちに御上陸,徒歩にて御召列車にご乗車あり。余らも陪乗して帰京せしが,沿道横浜東京間ほとんど人なき所なしとも言うべき盛況にて,いたるところ万歳の声を絶たず。いかにも国民歓喜の色を現せり。東京駅にて外国使臣一同奉迎しありて,英,仏,伊,蘭,白,大公使らにそれぞれお話あり。公式にて東宮御所に還啓ありたり。午後2時半東宮御所において拝謁し,長途のご旅行となんらお障りもなく御無事御帰朝相成りたる恐悦を言上したるに,殿下より外遊の感想を国民に知らすようにとて令詞と賜りたり。

原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,434頁

皇太子裕仁親王の令詞によれば、今回の渡欧で最も印象に残ったものは第一次世界大戦による戦争の悲惨さと戦場の荒廃の様子であり、日本は今後も欧州列強との協調が重要であること、また欧州との学問・文芸・産業の交流の大切さを確信した、というものでした。

しかし歴史は残念ながら、その後中国の権益を巡り、日本と欧米列強の利害が激突し、日本自身が戦争の悲惨さのなかに突き落とされる運命にありました。欧州から青年皇太子裕仁親王が帰国した1921年のわずか10年後、満州事変が勃発することになります。

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吉塚康一 Koichi Yoshizuka
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