【百年ニュース】1921(大正10)9月9日(金) 女優のヴァージニア・ラッペが膀胱破裂による腹膜炎で死去,享年26。死の4日前にサンフランシスコの高級ホテルで俳優ロスコ―・アールバックルが主催するパーティーに参加し体調を崩した。アールバックは強姦致死で起訴されスキャンダルに。裁判では無罪となる。
女優のヴァージニア・ラッペ(Virginia Rappe)が膀胱破裂による腹膜炎で死去しました。享年は26歳でした。この死はハリウッドのスキャンダルの歴史のなかでも大変に有名なものになります。ヴァージニア・ラッペは、サイレント映画で活躍した女優です。1895年7月7日にイリノイ州シカゴで誕生しました。父親は不在で母子家庭で育ちましたが、11歳のとき母が亡くなると、あとは祖母の手で育てられました。14歳の頃にアートモデルとして活動を始め,1916年21歳のときにカリフォルニア州に移ると,翌1917年にフレッド・バルショファー監督の映画『パラダイス・ガーデン』でデビューしました。続いて監督兼映画プロデューサーのヘンリー・レアマンの映画に多く出演し徐々に人気を高めていきました。
そして1921年9月5日、ヴァージニア・ラッペの死の4日前になりますが、たいへんスキャンダラスな出来事が発生します。この日は米国の祝日レイバー・デーになります。当時の人気コメディー俳優でロスコー・アールバックル(Roscoe Conkling "Fatty" Arbuckle)という人物がいます。太った容姿とユーモラスな演技で人気となり、パラマウント・ピクチャーズが前例のない300万ドルという大金でサイレント映画18本の出演を含む3年間の契約を結んだばかりでした。
このロスコー・アールバックルが、サンフランシスコの高級ホテル「セント・フランシスホテル」最上階である12階のスイートルームを3部屋借りてプライベート・パーティーを開催しました。このホテルは現在もウェスティン・セント・フランシスとして営業しています。1921年当時の米国は禁酒法の最中ですが、多くの密造酒が振る舞われ、友人たちが集まりました。そのなかにまだキャリアの浅い女優であったヴァージニア・ラッペもいました。
このパーティーの際中ヴァージニア・ラッペはアルコール過剰摂取で体調を崩しましたが、禁酒法時代であったため病院に搬送されずに3日間をホテルで過ごし、4日目に産婦人科のウェイクフィールド療養所に連れていかれましたが、膀胱の破裂による腹膜炎で死亡しました。警察の捜査でパーティーの参加者が取り調べられましたが、バンビーナ・モード・デルモントという女性が衝撃的な証言をします。ヴァージニア・ラッペはロスコー・アールバックルによる性的暴行を受け、太ったロスコーの巨体で押しつぶされたのだと証言したのです。
医師によるヴァージニア・ラッペの検死調査では性的暴行の証拠はありませんでした。しかしこのバンビーナ・モード・デルモントによる告発により、ロスコー・アールバックルは9月17日過失致死罪で警察に逮捕され、全米のメディアが一斉にセンセーショナルな報道を始めることとなりました。3週間にわたりロスコー・アールバックルが留置場に入っているなか、報道はエスカレートしていき、結局ロスコー・アールバックルは強姦と過失致死で起訴されました。
そして11月14日、サンフランシスコの市庁舎で裁判が始まりました。検察側は、サンフランシスコ地方検事のマシュー・ブレイディという人物でしたが、彼はカリフォルニア州知事への立候補を予定していた野心家の検察官として知られていました。裁判では告発者であったバンビーナ・モード・デルモントも証言に立ち、ロスコー・アールバックルのヴァージニア・ラッペに対する性的暴行を証言し、またのちに明らかになったところでは検事のマシュー・ブレイディは、ロスコー・アールバックルに不利になるような虚偽の証言をするようにそのほかの証人にも圧力をかけていました。
しかし結局アールバックルの性的暴行の証拠はなく、裁判は無罪判決となりました。しかし無罪判決が出るまでの7カ月間、人気コメディ俳優だったアールバックルの名声はメディアのセンセーショナルで偏ったスキャンダル報道のため完全に破壊されてしましました。彼が出演した映画の上映が禁止され、多くの道徳団体から激しい非難を浴びました。また妻であった女優のミンタ・ダーフィーとも離婚し家庭も破壊されてしまいました。当時の人気映画俳優そして監督であったバスター・キートンが失意のロスコー・アールバックを財政的に支えることになりました。アールバックルはのち控えめながら徐々に活動を再開させましたが、1933年心臓発作により、わずか46歳で亡くなりました。
日本でも2009年に大阪地検特捜部主任検事の証拠改ざんによって厚生労働省の村木厚子さんが逮捕される冤罪事件が起きました。マスコミのセンセーショナルな報道と検察の暴走が結びつくと、恐ろしいことが起きるという危険を教えてくれる事件かと思います。