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【百年ニュース】1921(大正10)10月18日(火) 最後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世がハンガリーで死去,享年76。1913年に当時の国王オットー1世に代わり即位したが,第一次世界大戦によるドイツ革命で退位。ヴィッテルスバッハ朝廃絶。ミュンヘンを退去するとリヒテンシュタイン経由ハンガリーに逃れた。

最後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世(Ludwig Ⅲ:Ludwig Luitpold Josef Maria Aloys Alfried)がハンガリーで死去しました。享年は76歳でした。

1845年1月7日にルートヴィヒは、バイエルン王子ルイトポルト(Luitpold von Bayern)の三男として誕生しました。当時のバイエルン王はルートヴィヒ1世、祖父の国王から同じ名前を授かったことになります。のち王位は叔父のマクシミリアン2世、そしてその子であるルードヴィヒ2世へと受け継がれます。

ルードヴィヒ2世とルードヴィヒ3世はいとこ同士ですが、2世のほうは、ノイシュヴァンシュタイン城を建築し、自身が少年の時からの憧れの対象だったリヒャルト・ワーグナーをバイエルンの宮廷音楽家として招いたことで知られています。1886年6月12日このルードヴィヒ2世は政府により逮捕され廃位を告げられると、翌日シュタルンベルク湖でかかりつけ医とともに謎の水死を遂げたことでも知られています。

ルードヴィヒ2世には弟がいました。精神的に不安定であり、生涯独身のため子のなかったオットー1世です。王位はこのオットー1世に移りますが、叔父のルイトポルトが摂政となり、1913年11月に結局廃位となって、摂政の息子ルートヴィヒ3世が受け継ぐことになりました。

しかし5年後の1918年11月7日、第一次世界大戦の最中に発生したドイツ革命により共和政が施行されたため、ルートヴィヒ3世も廃位となります。ここでバイエルンを長く統治したヴィッテルスバッハ朝は廃絶することになりました。

ルートヴィヒ3世はバイエルンの首都ミュンヘンを退去すると、リヒテンシュタイン経由ハンガリーに逃れていましたが、100年前のこの日、ハンガリー王国シャールヴァールのナーダジュディ城で没しました。

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