【百年ニュース】1921(大正10)12月21日(水) 森下仁丹の森下泰が大阪で誕生。京都帝国大学在学中の1943(昭和18)森下仁丹創業者の祖父森下博の死去に伴いわずか21歳で社長に就任。のち社長業の傍ら東大法学部に再入学。仁丹の業容を拡大させた。1974(昭和49)参議院議員。1987(昭和62)没,享年65。
森下仁丹の森下泰が大阪で誕生しました。森下仁丹の創業者森下博の孫になります。旧制甲南高校から京都帝国大学に進み、在学中の1943(昭和18)年の祖父死去に伴いわずか21歳で同社の社長に就任しました。
大戦中に京都帝大を繰上卒業となり、海軍主計見習尉官として海軍経理学校に進みましたが、戦後復員すると改めて東京帝国大学法学部に入学しました。社長業と大学生の二足の草鞋です。
森下泰のもと仁丹は大いに業容を拡張しました。口中清涼剤の主力商品「仁丹」から体温計・医薬品・製菓へと商品ラインアップを拡大。1954(昭和29)年には日本青年会議所会頭を務めます。
1973(昭和48)年、赤間文三死去に伴う参議院議員補欠選挙に自民党公認で立候補。惜しくも落選しますが、翌年の参議院選挙で全国区より出馬し当選しました。1976(昭和51)年の福田赳夫内閣では環境庁政務次官に就任します。
1987(昭和62)年に現役参議院議員のまま心不全で死去しました。享年は65歳でした。
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