【百年ニュース】1921(大正10)8月7日(日) フラメンコ・ギタリストのマニタス・デ・プラタが南仏のジプシー・キャラバンで誕生。本名リカルド・バリアルド。ジャンゴ・ラインハルトの技巧継承。1964パブロ・ピカソが「私より価値がある」と評しギターに絵を描いた。息子と甥がジプシー・キングス結成。
フラメンコ・ギタリストのマニタス・デ・プラタ(Manitas de Plata)が南フランスのジプシー・キャラバンで生まれた。本名はリカルド・バリアルド(Ricardo Baliardo)。マニタス・デ・プラタとはスペイン語で「銀の小さな手」という意味になります。ギター演奏の巧みさをその言葉で讃えたあだ名がそのままアーチスト名になったということになります。
マニタス・デ・プラタの11歳年上になりますが、世界的なジプシーギタリストの頂点と言われますジャンゴ・ラインハルトがいます。マニタス・デ・プラタはジャンゴ・ラインハルトの技巧を継承しまして、ジャンゴが亡くなった1953年以降、表舞台に出てたいへん注目されることになりました。
1964年にはパブロ・ピカソの南フランスのアトリエに招かれまして、ギターを披露するという機会がありました。ピカソは「私より価値がある」とマニタス・デ・プラタを評しまして,その場でマニタス・デ・プラタのギターに絵を描きました。その写真を貼り付けておきますので、よかったらご覧になってください。
さてマニタス・デ・プラタですが、その息子と甥がジプシー・キングスを結成したということでも知られています。ジプシーキングスは御存知の方も多いと思いますが、マニタス・デ・プラタ、本名はリカルド・バリアルドですけれども、このリカルドの息子たちがジプシーキングスのバリアルド3兄弟でして、そのほかの5人のメンバーは、これはレイエス5兄弟なんですが、甥にあたるということになります。ジプシーキングスの初期メンバーはこの8人ということなります。
1980年代以降、ワールドミュージック・ブーム、あるいはラテンミュージックブームがありまして、このジャンルを牽引したのがジプシーキングスです。私も大好きでして、1993年~1994年にワタクシ、カナダのトロント大学に交換留学で1年間行っておりましたが、トロントのビクトリア・ストリートにありますマッセイホール(Massey Hall) という中規模な劇場でジプシーキングスのコンサートを見たのを思い出します。
「ジョビ・ジョバ」「バンボレオ」などの世界的なヒット曲もありますが,日本でことのほか愛されているのがフジテレビ系列テレビドラマの『鬼平犯科帳』のエンディング・テーマ「インスピレイション」というインストルメンタルの曲です。時代劇にジプシー・キングスを持ってくる絶妙のセンス、また美しい江戸時代の四季の風景の映像が、視聴者に強い印象を与えました。
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