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【百年ニュース】1921(大正10)9月28日(水) 安田善次郎(82)が大磯町の別邸寿楽庵で朝日平吾(31)に刺殺される。朝日もその場で自殺。奸富に天誅を加えるとした斬奸状を持参。全国の労働者や支援者が朝日を英雄扱いし,2か月後の原敬暗殺の引き金になったとも言われている。
安田財閥の総帥、安田善次郎が大磯町の別邸寿楽庵で刺殺されました。享年は82歳でした。犯人は朝日平吾(31歳)で、朝日もその場で自殺しました。奸富に天誅を加えるとした斬奸状を持参しており、マスコミが大いに報道すると、全国の労働者や支援者が朝日を英雄扱いし、2か月後の原敬暗殺の引き金になったとも言われています。
明治23年(1890)佐賀県に生まれた朝日は当時31歳。善次郎とは51歳の歳の開きがある。柔道初段というから,がっちりした体格だったと思われる。
名門・旧制福岡中学(現在の県立福岡高校)を卒業後上京。一時日本大学に籍を置いたが,その後,満州に渡って一時は馬賊と生活を共にした。
凶事を起こす前年(大正9)3月に株で大損をし,熱海の錦ヶ浦で投身自殺を図ろうとしたが,付近の大地主である石渡七五郎が説得して思いとどまらせた。
のちに石渡はその朝日が善次郎を刺殺したと聞き,「もし自分が朝日に自殺を思いとどまらせていなかったら,この事件は起こらなかったはず。安田さんには大変なご迷惑をおかけした」と気の毒がったと言う。
(中略)善次郎のところを訪れる少し前には,渋沢栄一のところへも寄付を頼みに行っている。断られると切腹しかかったので,驚いた渋沢は百円を与えて帰らせたのだという。彼も危ないところだった。
朝日はかねてから死の病と恐れられていた結核に罹っていた。集めた寄付金も治療代などに消え,再び厭世的な気分になって死に場所を求め,さまよいはじめた。
北康利『銀行王安田善次郎ー陰徳を積むー』新潮文庫,2013,322-323頁
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