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【百年ニュース】1921(大正10)4月2日(土) 中華民国正式政府(第2次広東政府)誕生。孫文は前年11月に広州で組織した軍政府を改組,非常国会で大総統となり北京政府との対抗姿勢を鮮明にする。南北中国を代表する唯一の政府と主張するも,諸外国は承認せず。汪兆銘が教育部長として政治の表舞台に初登場。
汪兆銘は孫文を最側近として支え,1925年3月孫文の死去に際しては,病床にあった孫文による有名な「革命なお未だ成功せず,同志よって須く努力すべし(革命尚未成功,同志仍須努力)」の遺言を筆記した。遺書末尾の筆頭に筆記者汪精衛(兆銘),続いて証明者として宋子文,孫科,呉稚暉,何香凝らが署名した。
ちょうど中華民国正式政府(第2次広東政府)が誕生したこの頃の広州を、当時を代表する中国通ジャーナリスト太田宇之助が訪れている。太田は1891(明治24) 姫路市出身,1916(大正15)早稲田大学在学中に中国に渡り,孫文のもとで活動し袁世凱打倒を目指す第三革命に加わった。帰国後大阪朝日新聞社に入社。中国に関する当時の論壇をリードした。
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