【百年ニュース】1921(大正10)8月13日(土) 「隠田の神様」こと飯野吉三郎の母飯野静子が脳溢血で死去,享年90。飯野が主催する新興宗教団体「大日本精神団」は陸軍に信者を多く持ち,同郷(岐阜岩村)の下田歌子を経由し政界や皇室に影響力を持った。母静子葬儀の友人代表は信者のひとり神尾光臣陸軍大将。
「隠田の神様」こと飯野吉三郎の母、飯野静子が脳溢血で死去しました。享年は90歳でした。飯野が主催する新興宗教団体「大日本精神団」は陸軍に信者を多く持ち、同郷(岐阜岩村)である下田歌子を経由し政界や皇室に影響力を持ちました。母の葬儀の友人代表は青島攻略戦で有名な陸軍大将の神尾光臣でした。
隠田の神様と一部の人に渇仰されている飯野吉三郎の母静子の死亡広告に韓尾将軍が友人総代として名を出しいるが、実際将軍が飯野を信仰することは非常なものである。飯野は故児玉、寺内などの巨星をはじめ陸軍内部に多くの信者を持っているが、神尾将軍が掌中に捉われ始めはこうだ。かつて将軍が風邪の気味で欠勤すると、その晩飯野が病気見舞いに来て「閣下の病気の現在は斯く斯くで、いつ頃になると熱が上がり、いつ頃になると治ります」と種々注意をして帰った。ところがそれがピッタリ当たったので、青島攻略の猛将軍すっかり参ってしまい爾来足しげく隠田通いを始めるようになったのだと。
「雑記帳」東京日日新聞 1921年8月16日
1979(昭和54)年に山田風太郎は、飯野吉三郎を悪役とした小説『ラスプーチンが来た』を週刊読売に連載するが、飯野の遺族からの抗議により連載中止に追い込まれた。のちキャラクター名を「稲城黄天」と変え、1984(昭和59)年にようやく刊行された。
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