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現実を見るということ〜『花束みたいな恋をした』を見て〜
※ネタバレ注意
※自分語り含む
恋愛の映画として、見に行ったはずなのに、
何者を見た時に似た感想を持ったのは、
キャスティングに被りがあったからなのか、
やはり私は恋愛ものが苦手だからなのか
(苦手というより、なんでも努力に置き換えてしまう)
価値観の違いで別れたように見えるが(その意見が多い気がするが)、私は結局はのところ、夢が叶わなかったことも大きく起因していると思うのだ。
最後のセリフに、
SMAPが解散してなければ別れなかったかもしれない
というものがあったら、それ以前に、麦が就職していなければ、すなわちイラストレーターとして生計を立てられていれば、別れなかったかもしれないのだ。
麦は価値観が変わったように描かれている。
昔好きだった本を手に取らなくなり、
好きだったゲームに夢中になれなくなった。
(私が暇潰しゲームにハマるようになったのは、
この現象なのかと思ってしまった。)
でも、変わらざるを得なかっだかもしれない。
確かに、好きな絵を描き続け、
絹との現状維持を優先させる生き方もあったはずだ。
でも、それを奪ってしまったのは、
現実に他ならない。
夢では食べていけないという現実だ。
麦が絹に対して覚めたわけではないと私は思う。
麦の言うとおり、
働くことは好きなことでお金を稼ぐことではない。例えそれが誰でもできる仕事であろうと、自分がやりたくないことであろうと、それに見合う対価を払ってる人がいる限り責任がある。そして、生きるためには働かなくてはならない。
そして恐ろしいことに、
好きでもなかったことに、
やりがいを感じるように、人間、少なくとも日本人はできてると思う。
でも、絹の言うとおり、それは一種の考えであって、たとえ貧乏我慢してでも好きなことをやることは自由。
そして、好きなことにしかやりがいを感じられない感性も存在するのだ。
この価値観の差が別れた原因であるとして、
それでもやっぱり現実という、
才能と運に恵まれなかった人たちが通る道なしでは語れない物語でもあると思うのだ。
追記
もちろん、売れないバンドマンが彼女に振られたみたいな話と同類に考えてるわけではなく、
私も?麦や絹と似たような?経験があるからこそ、恋愛だけでは片付けられない部分があった。