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治らなければならないという幻想を超えて🌿🌈

私たちはしばしば「治らなければならない」「健康でなければならない」という観念に囚われる。

しかし、それは本当に不可欠なものなのだろうか。人間の生は、善悪や陰陽、プラスとマイナスが共存するダイナミズムの中にある。
それを否定し、一方の極へと偏ることこそが、本来の調和を乱してしまうのではないか。ここでは、中庸、無の境地、さらには老年的超越の視点から、この問題を考えてみたい。


🔴健康至上主義の落とし穴

現代社会では、健康であることが一種の義務のように語られる。病気になれば、それを「悪」と見なし、治療しなければならないと考える。しかし、病とは本当に克服すべきものなのだろうか。それはただ、生命の流れの中で生じるひとつの状態に過ぎないのではないか。

もちろん、苦痛を和らげるための治療や対策は必要だ。しかし、それが「正常に戻るため」「あるべき姿を取り戻すため」と考えると、途端に「今の自分ではダメだ」という否定の意識が生まれる。ここに、健康至上主義の落とし穴がある。

私たちの体は、陽があれば陰もあるように、変化しながら生きている。時に病むことも、老いることも、その流れの一部である。病を「悪いもの」と捉えず、それがもたらす意味や役割を受け入れることこそ、より深い調和へとつながるのではないだろうか。


🟤中庸の視点——バランスのとれた生

老子や仏教の教えに見られる「中庸」の考え方は、この問題に対して示唆を与えてくれる。中庸とは、極端に偏らず、すべてをあるがままに受け入れることを指す。「健康でなければならない」「治らなければならない」と考えることは、ある意味で「陽」に偏りすぎている状態だ。その反対に、「病気だから何もしない」「どうせ老いるのだから諦める」というのは「陰」に偏った考えとも言える。

では、どうすればいいのか。答えは、どちらにも執着しないことにある。「健康を目指す」ことと同時に、「病気もまた人生の一部」と受け入れる。この中庸の視点に立てば、無理に何かを変えようとするのではなく、その時々の状態と調和しながら生きることができる。

たとえば、体調が悪いとき、それを無理に「治そう」とするのではなく、ただ「今はこういう状態なのだ」と観察する。そこに善悪の判断を挟まず、ただ流れに身を任せる。すると、過度なストレスがなくなり、結果的に自然治癒力が高まることすらある。


🟠無の境地——自己への執着を手放す

無とは、何もないことではなく、あらゆる執着を手放した状態を指す。「健康でなければならない」という考えは、「健康な自分」という理想像に執着しているからこそ生まれる。しかし、そもそも「健康な自分」とは何なのか。誰もが歳を取り、変化し、最終的には死に至る。では、「本当の健康」とは、変わらない何かを保つことではなく、その変化を自然なものとして受け入れることなのではないか。

禅の教えに「流水不争先(流水、先を争わず)」という言葉がある。水は常に流れ、形を変えながらも、その本質を失わない。健康や病気という概念もまた、水の流れのようなものだ。自分がどの状態にあっても、それに抗わず、ただその瞬間を生きる。これこそが「無の境地」であり、究極的な自由なのかもしれない。


🟢老年的超越——すべてを超えて生きる

老年的超越とは、老いを受け入れ、それまでの価値観を超えていく心理的変化のことを指す。これもまた、「治らなければならない」「健康でなければならない」という考えを手放す上で大きな示唆を与えてくれる。

歳を重ねると、若い頃のように体が自由に動かなくなる。病気も増え、死の影も近づいてくる。しかし、その時、「健康でない自分は価値がない」と考えるのではなく、「これもまたひとつの在り方なのだ」と受け入れることができれば、心はより自由になる。

老年的超越に至ると、人は「生きること」と「死ぬこと」の境界すら薄れていくという。健康や病気といった区別を超え、ただ「今この瞬間」に生きる。そこには、もはや「治る」「治らない」という概念すらない。ただ、あるがままの自分がいるだけだ。


🔵まとめ——「治ること」への執着を超えて

「治らなければならない」「健康でなければならない」という考えは、私たちに大きなプレッシャーを与え、かえって心と体を不調に導くことすらある。しかし、中庸の視点に立ち、無の境地を目指し、老年的超越へと進むことで、こうした執着から自由になることができる。

病気も健康も、ただの状態のひとつであり、それ自体に善悪はない。どちらか一方に固執するのではなく、すべてを受け入れて生きること。それこそが、本当の意味での「調和した生」なのではないだろうか。

結局のところ、私たちは生きている限り変化し続ける。ならば、どんな状態であろうと、それをありのままに受け入れながら生きていく。そこにこそ、真の自由と安らぎがあるのかもしれない。

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