見出し画像

ディープフェイク技術と自我と日本人について思うこと。

まずは以下のYoutube動画(開始後20秒あたりから)を見て欲しい。Metaphysic AIのディープフェイク技術はリアルタイムで顔が変化し、合成された顔に不気味さが殆どない事に驚く。声はまだ駄目だが、精度が上がれば本人と見分けがつかなくなるだろう。


この技術の一般化は数年で来るので、デジタル上で完全に他人になれてしまうわけだが、なられた方はたまったもんじゃない。犯罪で使われるとヤバすぎる。しかし規制するのは難しそうだ。という事は本人性確認の話になるので、本人であることの証明を家族でも友達でも恋人でも常にしなければならないという世界になるかも知れない。

LLMのような技術は、意識はなくともそれっぽい事が言えるので、自分のコピーが簡単つくれてしまう。となるとディープフェイクと掛け合わせて、完全なる分身が量産できてしまう。自分の分身に仕事をして稼いでもらって、自分は遊んでみたいな、ドラえもんに出てくるのび太君みたいな幻想を抱くかもしれないが、分身という無限のリソースはむしろ知識労働者の賃金を極限までゼロに近づけるんだと思う。一方でブルーワーカーの賃金は上昇するはずだ。

いずれにせよ、ここまで来るともはや、本人、すなわち自我とは何かというという事を考えざるおえない。映画「マトリックス」はAIとの戦争を描いた作品であるが、AIが意識を獲得する事で始まる。「2001年宇宙の旅」もHALが暴走しとんでもない事になるし、「ターミネーター」は人類を抹殺しようとする。

西洋ではAIはとにかくヤバい奴であるという描かれ方が中心であるが、日本ではロボット(AI)はほぼ全員いい奴であり、悪い人間をやっつける正義の味方だ。これは一体何だろうか?AIに対する絶対的信頼感や愛情がある。日本人の考え方は近い将来世界を救うかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?