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「張良」 宮城谷昌光 著 中央公論新社

「張良」 宮城谷昌光 著 中央公論新社

中国の歴史上の人物で最も興味のある人物が、張良です。

紀元前200年ごろに活躍した軍師で劉邦による漢帝国の樹立を助けた参謀です。

あの時代に情報の大切さを知り、諜報活動を行い、集まった情報から戦いの戦略を立てていきます。

張良は、人の心理を知り尽くしているとも言えます。

例えば、天下を平定したあと、臣下が謀反を起こしそうな空気になった時、張良は、「平素、陛下がお憎みになって、しかもそのことを群臣が知っている者のなかで、もっともひどいのは、たれでしょうか」と劉邦に聞き、劉邦が「雍歯だな。かれには旧怨がある。かつて、しばしばわれを窘しめ辱しめた。われはかれを殺そうとおもったが、軍功が多いので、やめた」と答えると、張良は 「それでしたら、ここで、まっさきに雍歯を封じ、それを群臣にお示しになるとよい。群臣は、雍歯が封じられたのをみれば、それぞれ落ち着くでしょう(p.409)」と献策します。そして、張良の予測通りにことが進みます。

張良の凄みは、項羽と休戦が成立した直後、陳平と共にその約束を破り項羽を追撃することを劉邦に進言したことです。その結果、垓下の戦いで項羽は敗れ、劉邦が漢帝国を樹立するのです。

その垓下の戦いにおいては、強力な武力を持ちながら独断が多く、項羽と雌雄を決する劉邦に協力しようとしない韓信と彭越に対する対応として、劉邦に「陳より東、海にいたるまでの地をことごとく韓信に与え、睢陽より北、穀城にいたるまでの地を彭越に与えて、おのおの自身のために戦うようにしむければ、楚は、たやすく破れましょう(p.397)」と申し入れます。大物を釣り上げようとしたら、大きな餌がいいと言うことですね。

劉邦は、張良に最大の論功行賞を与えようとしますが、「はじめわたしは下邳より起こり、主上と留の地でお会いしました。これは、天がわたしを主上に授けたのです。それからの主上は、わが計を用いられましたが、さいわいにして、それは時宜に中りました。わたしは留に封ぜられれば、充分なのです。三万戸には当たりません(p.405)」と固辞します。

広大な領地の王となった韓信や彭越は、のちに誅殺されるのですが、張良は生き残ることができました。

張良は、大きな餌を韓信、彭越らに与えたとき、彼らのその後の運命を予見していたのだろうと僕は考えています。義侠の人と言われる張良ですが、底には氷のような冷徹さがあったのだろうと思います。

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