山本迪夫さんのこと
「父のこと」は終わりましたが、番外編として、父が、そして僕自身が大変お世話になった山本迪夫さんのことを書こうと思います。
以前、テレビの人気番組で、「太陽に吼えろ」という刑事ドラマがありました。その中の有名なシーンとして、新人刑事役の松田優作さんの殉職があります。松田優作さんのそのときのセリフ「なんじゃ、こりゃー?!」は、当時とても話題になりました。その回の演出をしたのが、山本迪夫監督です。父も何本か山本さん演出のテレビや映画に出演しました。
山本さんとは、家が近くだったこともあり、我が家にも時々訪ねてこられ、僕が小さいころからいろいろとお世話になりました。いつもブルーのサングラスをかけていて、情熱的に映画やTVのことを話していたかと思うと、ちょっとした冗談を言って、はにかんだような笑みを浮かべる方でした。
山本さんは、2004年8月23日にがんで亡くなりました。
その数ヶ月前に、僕は、山本さんに偶然出会いました。その時、僕は実家を訪ねていたのですが、たまたま妻と散歩をしていて隣の駅まで歩いていた時、山本さんと奥様に偶然会ったのです。山本さんは、その時すでにがんが発見されていて、闘病生活を続けられていました。しかし、偶然僕らがお会いした時、とてもお元気そうだったのです。山本さんは僕らを発見すると、「やあ」と例のはにかみ笑いで手を振り、「ちょっとあがっていかないか」と言ってくれました。僕らは、一も二もなく、お宅におじゃまさせていただきました。
僕らは、リビングに案内されました。そして、リビングのテーブルには、大きな江戸の地図がありました。博学な山本さんは、「ここが薩摩藩邸で・・」などと、僕らに説明してくれました。外様の藩邸は、大きいけれど、江戸城から見ればちょっと外側にあるということを、その時初めて知りました。その詳細な地図は、山本さんの同級生が作ったものなのだそうです。山本さんは、「次は、時代物とポルノを撮りたいんだよ」と、その構想を僕らに語ってくれました。残念ながら、後者の構想は語ってくれませんでしたが・・・。
僕らは、とても楽しいひと時を過ごしました。
それから、数カ月後、山本さんは、帰らぬ人となりました。
僕らがお会いした時、山本さんはとてもお元気そうにしていたのですが、実はがんが進行していたのだそうです。1ヵ月後山本さんは入院し、その後は、もはや緩和ケアしか選択がない状況でした。毎日痛み止め(それは、やがてモルヒネになったのだそうですが)の点滴を打つ毎日でした。
その日、山本さんは、とてもすっきりした顔をされていたそうです。そして、看護師に、「頭をクリアにしたいから、しばらく点滴を止めてくれないか」と言ったのだそうです。点滴を止めると、痛みがぶり返すのではないかと医師も看護師も心配したのですが、山本さんの決意は固く、結局、しばらくの間モルヒネの点滴を止めることになりました。
点滴を止めた後、山本さんは、傍らに置いてあった本、司馬遼太郎の「覇王の家」をとりだし、一心に読み始めたのだそうです。「覇王の家」は、徳川家康の物語です。山本さんの前には、あの江戸の地図はありませんでしたが、彼の頭の中には、あの江戸を作り日本の覇者となった徳川家康の姿がありありと浮かんでいたのではないかと思います。やがて、本を置き、少し間をおいて山本さんは、「もういいよ」と言いました。そして、モルヒネの点滴が再開され、山本さんは、そのまま息を引き取られました。
山本さんは、最後までご自分の次回作の構想を練っておられたのではないのでしょうか。
「もういいよ」と言った時、山本さんは「覇王の家」をモチーフとした作品を完成させたのでしょう。そして、満足して息を引き取られたのではないかと思います。「覇王の家」のラストシーンが、彼にははっきりと浮かんでいたのではないかと思います。
山本迪夫さんは、最後までかっこいい人でした。