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「何が響くかわからない」・・・あぁ!やってしまった!

セラピストは、セラピーセッションの間中ずっとクライアントに共感できているわけではありません。セラピーの多くの時間は、クライアントの本質的なテーマを探求して行くことに当てられます。例えば、「たいしたことないんですけどね」と言いながら、クライアントが何度も同じような内容の話をするような場合や、同じ人の名前が何度も登場するような場合には、その話題について話してもらい、イメージを浮かべながら話を聴き、テーマの本質に迫っていきます。共感は、クライアントとセラピストのやり取りの中で、必要なタイミングで自然に起こります。

しかし、セラピストがクライアントのテーマを探索していく過程で、共感どころか、うっかりクライアントを傷つけてしまう場合もあります。これからお話するのは、そんな事例です。

クライアントは、20代半ばの女性(Aさん)でした。Aさんの相談内容は、友人Bさん(女性、Aさんと同い年)がうつで、繰り返し「死にたい」と言うので、どのように対処したら良いかというものでした。「友達のことでセラピーに来た」というケースについては、実は、友達についてではなく自分がセラピーにかかりたいと思っている場合があるので、そのことは、頭の片隅に置きながら、僕はAさんの話を聴きました。

Aさんによれば、Bさんの様子は、かなり深刻なものでした。おそらく大うつ病でしょうし、自殺念慮も、かなり心配なレベルで、死ぬための具体的な方法まで考えていました。僕のは、そこにいないBさんの自殺防止を最優先に考えなければならないと思いました。

僕は、Bさんは相当深刻なレベルなので、医療機関に繋げたほうがいいだろうということを伝えました。Aさんは、「わかりました。やはり、相当深刻な状態なのですね?」と言ったあと、横を向きながら、「私は、抜毛癖だけですから、死ぬなんてことはありませんけどね」と付け加えたのです。

そのとき、僕は、Bさんの自殺を防ぐにはどうしたらよいかということに神経を集中させていました。そして、Aさんが付け加えたひとことに対して、「そうですね」と答えてしまったのです。

僕が「そうですね」と言ったとたん、それまで饒舌だったAさんが、ほとんどしゃべらなくなりました。こちらから質問をしてもどこか上の空のように感じられました。

僕は、何が起こったのかと思い、自分の発言を振り返りました。そのとき、思い当たったのが、Aさんが、自分は抜毛癖だと告白した時に、何も考えずに「そうですね」と答えてしまったことです。Aさんは、Bさんのことで相談に来ていますが、実はご自身も、別のところで深く悩まれていたのです。僕の「そうですね」は、「Aさんの症状は、Bさんと比べればたいしたことがないですね」と言っているのと同じことです。僕は、Aさんに共感するどころか、逆に傷つけてしまったのです。そのことに気づいた僕は、Aさんに「先程、私は、Aさんが抜毛癖だから死なないと言った時に、『そうですね』と応えてしまったのですが、それがAさんを傷つけてしまったのではないかと思ったのですが」とお聞きしました。すると、Aさんが、「ええ、ちょっと」と言いました。

僕は、「しまった!」と思いました。そして、「すみませんでした」とお詫びしました。本当に申し訳ないことをしてしまいました。

後からお話を聞いてわかったのですが、Aさんもかなり深刻なうつ状態でした。うつ状態なのに、さらにBさんを救わなければならないというプレッシャーと不安があって、完璧主義の傾向のあるAさんは、どうすることもできずに自責の念にかられ、抜毛癖となったわけです。

幸い、その後Aさんは、定期的にセラピーに来てくれるようになり、Bさんも病院につながりました。数ヶ月後、Aさんはうつから回復して元気になり、セラピーは終結となったのですが、その最後のセッションのとき、僕はAさんに、「ここまでのセッションで、一番印象に残っていることは何ですか?」と聞きました。するとAさんは、最も印象的な出来事として、最初の僕の失敗について話してくれました。

Aさんによれば、自分は完璧にしなければならないと思って日々プレッシャーを感じているのに、専門家であるセラピストがいきなり失敗し、謝っている姿を見て、とてもほっとした気持ちになったのだそうです。この出来事が、はからずも、Aさんが完璧主義の罠から抜け出す第一歩になったのです。Aさんにしてみれば、自分の完璧主義がバカバカしく思えるようになったのだそうです。

僕は、このように、Aさんとの最初のセッションで失敗してしまったのですが、逆にその失敗が、Aさんにとって新たな視点を提供したことになりました。

「セラピストは、どこかで必ず失敗する。でも、その失敗をセラピストは言い訳してはならない。セラピストは、オーセンティック(自分の感覚・感情を歪めずに見つめている状態)な状態でいるべきである。その上で、セラピストの失敗で傷ついたクライアントの心に共感することができれば、その経験がクライアントにとって新たな気づきを生むことがある」というのは、CIISの臨床心理学の教授マイケル・カーンの言葉です。

この事例は、僕にとって、とても勉強になった体験でした。


*「あぁ、やってしまった!」と気づいた瞬間の、セラピストの心の姿をChatGPTに描いてもらいました。


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