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「やさしくない国ニッポンの政治経済学」 田中世紀 著 講談社新書メチエ

ずっと日本は協調的な国だと思っていましたが、2000年をすぎたあたりから、「あれっ?」と思うことが多くなり、今や日本はかなり利己的な国民だと思うようになりました。


僕は、1982年から1996年末まで日本の企業で働いていたのですが、当時の会社員の中では、「同じ釜の飯を食った」という身内意識が強かったように思います。


その後アメリカで4年半過ごし日本に帰ってきたのですが、何か日本の空気が変わってしまったように感じました。


確か、2004、5年の頃だったと思うのですが、隣で飲んでいた会社員のグループが、ずっと他の課の悪口を言っているのです。他の課の悪口を言うことは僕の会社員時代もありましたが、隣の会社員たちの悪口が度を過ぎるものに感じられました。僕の会社員時代は、課長が「◯◯課ももう少しちゃんとやってほしいよな」と言って、課員が「そうですねぇ」と相槌を打つぐらいなものでした。つい調子に乗って他の課をボロクソに言っちゃうと、嗜められたものです。でも、隣で飲んでいる社員たちは違いました。課員も積極的に他の課の悪口を言い、他の課の管理職の能力を否定するような発言もありました。飲んでいる課長さんは頷きながら聞いていたのです。


僕は、2001年からカウンセリングをしているのですが、相談内容として会社内の人間関係、特に足の引っ張り合いやいじめのような事例が年々増えていったように感じています。


何が起こっているのか自分なりに考えてみたのですが、バブル崩壊後、年功序列、終身雇用のシステムが崩壊し、転職が増え、非正規雇用の増加などが重なって「同じ釜の飯を食った」と言う身内意識が急激になくなってしまったのではないかと考えています。

また、1990年代後半から多くの会社で導入されていった「成果主義」が、人より少しでも上に立ちたいという意識を強め、勝ち組負け組の意識を生むようになったと思います。周りはみんな敵になってしまったのではないかと思います。


この本を読んで、僕の仮説もまんざらでもないかなと思いました。


「終身雇用制にしても、優秀な従業員が途中で辞めないように、また会社が途中で従業員を解雇しないように、互いの信頼を高めることなく保証するための制度として捉えることもできるだろう。(350)」という「蜃気楼・ルール仮説」は、納得のいくものでした。


社会心理学者の山岸俊男の主張からすれば、「日本人は自発的に集団主義的に行動しているわけではない。むしろ、集団主義を担保する社会制度が存在しないところでは、日本人はアメリカ人以上に個人主義的に行動する(302)」ということになりそうです。


このため、「日本では連帯感を必要とする公助への合意形成が非常に難しくなっていることは否定できない。(926)」ということになるでしょう。よくネットなどで生活保護の不正受給が非難の対象になるのですが、実は「日本の生活保護受給者は、1.57%と低い(941)」のだそうです。ちなみに、ドイツ(9.7%)、フランス(5.7%)、イギリス(9.27%)、スウェーデン(4.5&)です(尾藤慶喜、2011)。


一方で、「日本人の約6割が社会に貢献したいと潜在的には思っている(1245)」というデータもあるので、やりようによっては、相互援助的な社会が実現するかもしれません。


その一つの可能性が、ベーシックインカムの制度にあるのかもしれません。ベーシックインカムによって「安心」が担保されれば、お互いを思いやる空気が生まれるかもしれません。


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