「セラピストの失敗」・・・小さな「おや?」を見逃すな
X病院脱走事件のあと、Hは、少しは反省したらしく、罵詈雑言もあまりないセッションが続きました。ある日、Hからオフィスに連絡があり、「腰を痛めてしまってセッションに行けないので、Hの住むボード&ケアホームまで出張してくれないか」と言うのです。ホームに確認したところ、実際に腰を痛めているということでした。スーパーバイザーのMと相談し、Hの暮らしぶりを見るいい機会だからとのことで、僕は出張カウンセリングをすることになりました。
ホームに行くと、Hはベッドに寝ていました。弱っているようで、声も小さく、久々に罵詈雑言のないセッションとなりました。帰り際に僕は、新しいジャケットがハンガーラックに吊るされていることに気づきました。「いいジャケットだね」と言うと、「何かと世話をしてくれる牧師がプレゼントしてくれた」と言うのです。
その牧師さんについては、それまでのセッションの中でも何度も出てきた人でした。Hが苦境に陥った時、精神的にサポートしてくれてきた人です。その人がジャケットをプレゼント・・・。一瞬、「おや?なんか変だな?」と思いました。
でも、僕はHに何も言いませんでした。「博愛精神のある牧師さんって、きっといるのだろう」と考えて、僕は自分自身を納得させたのです。
次の週、ホームに行くと、Hは椅子に座っていました。腰の状態はだいぶ良くなっていたとのことです。セッションを始めてすぐ僕は机の上に置いてある新品のウォークマンに気付きました。どうしたのかHに聞きました。Hは「買った」と言います。また、真新しい靴も発見しました。どうしたのか聞くと、「牧師さんが買ってくれた」と言います。
「これはおかしい」と、僕は思いました。まさかと思って、「家賃は払っているのか?」と聞くと、なんと「払っていない」と言うのです。「なんで払っていないんだ!?」と僕。Hは平然と「払えと言われていないから払っていない」と言うのです。本来家賃として払われるべきお金は、新しいジャケットと靴、最新のウォークマン、そしてマリファナに化けたのでしょう。僕は急遽ホームのスタッフに会って確認すると、確かにHは家賃を払っていませんでした。これからHはどうなるのか聞くと、「家賃が支払われないのなら、1週間以内にこのホームから出ていってもらうことになる」とのことでした。
僕は、Hの部屋に行き、「どういうことか」問い詰めました。Hはのらりくらりです。僕は、「1週間でここを出なければならなくなるぞ」と伝えました。Hは「そういうトラブルが起きた時、なんとかするのがセラピストの役目だろう?」と言います。僕は怒り心頭でした。僕は、はっきりと「それは僕の仕事ではない」と伝えました。
すると、Hの様子が変わりました。
「なんとかしてくれ」とHは懇願モードになったのです。
僕は、「できることはするが、どこまでできるかわからない」と答えました。すぐにスーパーバイザーに現状を報告し、市の担当者に連絡しアポイントメントをとりました。
市の担当者は、「家賃を支払えないのなら、1週間で出ていってもらう」と言います。僕は、なんとかならないかお願いしたのですが、日本的浪花節は通用しません。僕は、オフィスに戻り、Hが二度とこうしたことを起こさないためのトレーニング計画を作りました。その計画とは、毎日職業訓練施設のトレーニングに参加する、グループセラピーのセッションに参加する、職業訓練が終了したらなんらかの職につくというものです。この3つは、Hがこれまで拒否していたことですが、今回ばかりは、さすがのHも拒否しませんでした。
僕は、次の日にもう一度担当者と会い、必ず滞納家賃を支払うという条件で、なんとかコミュニティメンタルヘルスケアのシステムから外される期限を1週間から1ヶ月に伸ばしてもらうことができました。コミュニティメンタルヘルスケアのシステムから外されるということは、その市でメンタルヘルスのサポートを受けられなくなるということです。
しかし、Hに支払い能力があるわけはありません。Hは「世話になっている牧師が支払ってくれるかもしれない」と言うのですが、そんな話は当てになりません。
僕は、「何年も連絡をとっていないという家族に連絡して援助を求めるしかない」とHに言い、Hも家族に電話をしたのですが、家のお金を使い込んで絶縁状態にある家族は電話にすら出てくれないとのことでした。ダメもとで、僕はHの妹に電話をかけました。妹はもう二度と兄とは関わりをもちたくないと言います。ただ、一度僕と会ってくれることにはなりました。
数日後、カウンセリングオフィスで妹さんとそのご主人にお会いしました。そこで、Hのおかげで、妹さんやご両親がどれだけ苦労をしたのかをお聞きしました。また、Hの性格が歪んでいったのは、厳格すぎる父親の影響があるのかもしれないとのことでした。お話を聞き終わった時、「ヨシがあんな兄のために、一生懸命サポートしてくれていることに感謝します。一度だけ援助しましょう。兄への援助ではなく、ヨシへの感謝の印として」と言ってくれました。ご主人もそれでいいと言います。帰り際、「一度だけですからね」と言って、妹さん夫婦は帰っていきました。
1ヶ月の猶予をもらったとは言え、Hは今のボード&ケアホームにいることはできません。次のホームが決まるまで、どこかに滞在しなければならないのですが、結局1ヶ月ほどHは友人の家に滞在することになりました。
その後、僕はさまざまな市のメンタルヘルス関係者とミーティングを行い、やっと次のメンタルケア施設から入所許可を得ることができました。そのことを彼に伝えると、彼は涙を流し僕にハグしてきました。Hに対しては、それまで「もう、うんざり」という気持ちが強かったのですが、Hの涙を見たとき、まあ、いいかと思えました。不祥事を起こした出来の悪い息子を許す時の父親の気持ちみたいな感覚でしょうか?Hは僕より10歳年上なのですけれど・・・。
今回の件に関しては、Hは、自分で友人にしばらくの間同居させてもらう交渉をし、デイケアセンターに毎日通い始めるなど協力的な姿勢を示したのです。この事件を契機に、少しだけ、僕とHの間にラポールが形成されたように思います。次の週、Hを新たな施設に連れて行ったときも、Hは僕に何度も何度も感謝の言葉を述べました。
それから順調なセッションがなんと1ヶ月以上も続きました。そして、彼とのセッションは、少しずつ深くなっていきました。僕は、日本に帰るため、インターンを終えることになっていました。そして、Hを担当するセラピスト、精神科医、ソーシャルワーカーが決まりました。
最後のセッションは、新しい施設でのセッションになりました。
穏やかで、ちょっとしんみりしたクロージングセッションになると想像していたのですが・・・。
Hは、なんと元の罵詈雑言モードに戻っていました。「お前の選んだ精神科医はなんなんだ!」というのがHの怒りの原因です。しかし、精神科医を選んだのは市であって、僕ではありません。「おまえは、なんにも役に立たない」というのが、そのセッションでのHの最後の言葉でした。その後僕は、施設のセラピスト、精神科医、ソーシャルワーカーと引き継ぎのミーティングをし、施設の外に出ると、歩道に大きな男が座ってタバコを吸っていました。
Hです。僕は、Hにお別れの挨拶をしましたが、全くこっちを見ようとしません。僕が、「じゃあ、行くよ」と言った時、向こうを向いたまま、Hは右手をあげました。Hにとってのお別れの挨拶だったのでしょう。
Hのケースは、結果的になんとかなったのですが、反省点はあります。新しいジャケットを見つけた時、もっとHから話を聞けばよかったのです。あの時だったら、全額ではないとしても家賃の7、8割は払えたのではないかと思います。その後、Hは靴とウォークマンを買い、マリファナ漬けの毎日になってしまったのです。小さな「おや?」が生じたら、その理由を探究すべきだったのです。またしても僕は、自分にとって都合の良い解釈をしてしまう「確証バイアス」の罠にハマってしまっていたのです。