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「ある華族の昭和史」 酒井美意子 著 講談社文庫

確か、沢木耕太郎さんの著書の中で紹介されていた本です。

僕のような下々の民には、窺い知れぬ華族の生活を垣間見ることができました。


著者の酒井美意子さんは、加賀100万石の前田家の当主前田利為の娘です。利為が大使館付陸軍武官であったため、著者は、二歳から四歳までロンドンで暮らし、ハイドパークで、エリザベス女王とめぐりあう(p.7)などの経験をして、昭和5年9月帰国に帰国します。


当時前田家には、百三十六人の使用人がいた(p.9)そうです。東京の本宅以外に、幾つかの別邸を持っていました。前田家の別邸は鎌倉と軽井沢と金沢にあり、北海道には牧場と山林を経営し、京都の鷹ケ峰には別荘の新築を、朝鮮には植林の計画をもって広大な土地を所有していた(p.133)とのことです。


公家や大名、明治の元勲などが明治維新後授爵するのですが、その数は、公爵十一名、侯爵二十四名、伯爵七十三名、子爵三百二十二名、男爵七十四名(p.17)です。けっこうな数ですね。


この本の前半は、学習院女子時代を中心とした華やかな生活が描かれています。体操の時間(今で言う運動会?)の祖母たちの応援は、「赤、お勝ち遊ばせ」「白おしっかり」と手を叩くと言うもので、気が抜けて、ずっこけそうです。


また学習院女子内での、S(シスター)と呼ばれる恋愛事情についても、リアルに描かれています。恋愛といっても、恋愛ゲーム・恋愛ごっこみたいな感覚かなと思いますが、それでも実名が出てくるし、今だったら訴訟対象になってしまうかもしれないと思いました。


やがて、適齢期にもなると、男性とのロマンスになっていきます。


しかし、そんな華やかな生活にも、戦争の足音が迫ります。著者は、宮家からの縁談があるのですが、父の前田利為が断ってしまいます。


利為は、日本の前途は実に多難で、いまだかつて経験しなかったような事態になる(p.123)と考え、皇族・華族はいなくなるだろうと予測していました。そして、利為が「宰相の器ではない」と評していた東条英機が首相になり、戦争が始まりました。


そして、太平洋戦争が始まると、利為はボルネオ方面陸軍最高指揮官を拝命して軍務に服し、十七年九月五日、司令部のあるクチンからミリに向け飛行中に消息を絶ち(p.168)、戦死します。


戦争がいよいよ深刻な様相を帯びてきた昭和十八年の九月、外務省は若い事務官達が戦場に狩り出されて人手不足に陥ったため、女子を三十名採用することになり(p.179)、著者は合格し、外務大臣官房政務秘書官室に勤務することになります。


著者は、日々機密情報に接するようになるのですが、そこで情報の矛盾に気づきます。


「いったい、両方が勝っている戦争などあるだろうか。どちらが本当なのか。私は次第に軍部への不信を深めていった。 (p.182)」

日本は負け、前田家と嫁ぎ先の酒井家の財産の90%は失いました。


しかし著者は、めげることなく、自宅に残ったアトリエを改装し、「クラブ・不死鳥」と命名して、オープン(p.211)させました。これが成功し、クラブを閉めた後は、「マナー」「エチケット」を表看板にして、執筆や出講などの仕事で活躍するようになります。なかなかたくましいです。


戦後の皇族・華族は苦労したようです。


皇女から平民に下落された成子内親王は、東大の聴講生として軍人脱却を心がける夫君を助けて鶏や鶉を飼い、六本木の鳥屋と契約して卵の卸売りをしたり、プラスチック加工の内職までして家計を捻出しようとされただけでなく、 毛皮動物の飼育も行ったのだそうです(p.207)。


一方では、華族の中には、太宰治の「斜陽」にもあるように没落していく人たちもたくさんいたのでしょう。


本の中には、

「植田軍司令官が統率する関東軍やその配下の第三軍(山田乙三中将)の中には、いまだに日露戦争の勝利に溺れて「ソ連恐るるに足らず」と嘯く将官が少なくなく、事ごとに父と衝突した。(p.167)」

「(外務大臣官房政務秘書官室への)外来者の中で最も無作法なのが参謀本部と記者クラブの常連で、彼らはドアをノックもせず、だしぬけに入って来る。(p.182)」

などの記述があります。


日本は、歴史の中でしばしば傲慢になるようです。傲慢になるとロクなことはありません。



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