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「街場の米中論」 内田樹 著 東洋経済新報社

米中もし戦わば・・・的な本ではありません。著者の内田さんが大学のゼミの中で、学生の発表を受け、「そういえば。今の話を聴いて思い出したことがあるんだけど。(p.3)」という感じで話してきたことをまとめた本です。


ですから、戦略がどうの戦術がどうの、核戦争になるのかならないのか?・・・という類の本ではありません。もっと本質的な、中国とアメリカの人たちが持つ世界観を示しています。そこが逆にとても興味深いです。


中国は歴史上、「皇帝に朝貢して、官命を受ける限りは、辺境の王に「高度な自由」を認める。ただし、中華帝国から離脱して、独立しようとすると軍を送って、これを懲戒する(p.24)」ということをしてきたとのことです。


国内を見ていくと、中国の歴史では、「中央による統制の弛緩、飢饉、農民の流民化、内戦状態というパターン(p.134)」を、殷の時代から中華人民共和国の成立まで繰り返してきています。


中国は多民族国家です。本書によれば、9割は漢民族ですが、モンゴル族(600万人)、チベット族(550万人)、ウイグル族(1350万人)、満州族(1000万人)、朝鮮族(180万人)、チワン族(1600万人)、回族(1000万人)など55の少数民族(p.132)が存在します。そうなると、実は外交より内政の方が大事だということになるかもしれません。


そして、現在中国は著しい格差社会になってしまっているので、経済が停滞すると、低所得者の不満が爆発するかもしれません。しかし、これまでの中国ならば、相手国が決定的な敵意を示さない限り、戦争を仕掛けようとはしないのではないかとも考えられます。新疆ウイグル自治区のようにレアメタルのような資源がある場合には話は別になるかもしれません。


アメリカは、自由と平等という、本来は食い合わせの悪い理想の中で、「あるときは自由をめざし、あるときは平等をめざし(p.40)」蛇行します。自由というのは聞こえがいいのですが、行きすぎると、トラブルの解決は、お上に頼らず自分の拳と銃でケジメをつけるという方向に向かいます。平等を突き詰めると、全体主義的監視国家になってしまうのですが、そこに向かうことはアメリカは嫌うでしょう。


ある範囲内で揺れるのは構わないと思いますが、それが極端になってしまうことがあります。今のアメリカは、平等とかけ離れた格差社会になっているように見えます。だから、「自分の拳と銃でケジメをつける」トランプのような人が大統領に選ばれたのかもしれません。自分の国だけよければいいという考えに向かいがちな状況であると言えるでしょう。


さて、米中関係ですが、現在のところ、三つのシナリオが考えられています。


「第一のシナリオは「ウクライナ戦争の失敗で、ロシアは軍事的にも、経済的にも急速に国力を失う。中国は少子・高齢化と『ゼロコロナ』政策の失敗と習近平独裁のせいで経済的に停滞する。米国は国内の分断をなんとか乗り越える」という「アメリカ一人勝ち」シナリオ。第二は「中国が経済成長に成功し、軍事テクノロジーでもアメリカに比肩する」という「米中二極世界」シナリオ。第三は「米中ロシアすべてが衰退し、世界が多極化・カオス化する」という「カオス化」シナリオ(p.167)」です。


この中で、少し前までは「米中二極論」が支配的な言説(p.172)だったのですが、このところは米中ロシア全部がこのあと国力が衰微して、世界は多極化するという「カオス論」が勢いを得(p.172)ているようです。


内田さんは、中国は、共産党内部で、「地方への資源分散」による「中国農民革命の再演」を目指す「原点回帰派」が登場してきて、それなりの発言権を持つようになるだろう(p.159)と予測しています。


アメリカについては、近年「不愉快な「隣人たち」と共生する術を学ばなければならない」と考える人たちが増えて(p.172)いるようです。


さて、そうなると、将来の米中関係はどうなるのでしょうか?僕は、中国もアメリカも国外のことにエネルギーを注ぐ余裕がなくなって、国内の安定に注力するのではないかと思っています。それぞれの国が、「とにかく生き延びる(p.172)」ことを目標にしていくのではないかと思います。その際、戦争などという無駄なエネルギー消費はしないのではないかと考えているのですが、どうでしょう。


でも、それが極端に進むと、自分の国だけよくて、自分たちさえ生き残れば、地球温暖化なんて関係ない(あるいは、「地球温暖化なんて起きていないのだから、どんどん石油石炭を燃やせ」)、悪いことが起きたら、全て他国のせいにするというような世界観を世界中が持つようになってしまうかもしれないなどと想像してしまいます。


そうならないためには、著者の言うように、自由・平等に友愛を加えるのはいいのではないかと思います。「自由・平等・友愛」は、フランス革命時の標語です。著者によれば、「友愛は同じ共同体の仲間に対する気づかい、親切(p.173)」とのことです。そうなればいいのですが・・・。


僕自身は、「平等」ではなく「公平」は、どうだろう?と思いました。「公平」な権利は与えるけれど、あとは自分の裁量で「自由」にすればいい。だけど、そこには、他者を共感的に理解しようとする「友愛」があるというのがいいかなと思いました。




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