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「どけのワーク 吉福伸逸のセラピー ハードなアプローチは有害か?その7」

吉福さんのワークショップは、いくつものエクササイズで構成されています。それらのエクササイズは、ワークショップの中で「ワーク」と呼ばれていました。

その「ワーク」の特徴は、妥協しないことです。そして、自分ないしは他のメンバーの内面から湧き出てくる情動をしっかりと見つめることです。

情動には、良いも悪いも、善も悪も、正も誤もありません。喜怒哀楽、全て大事な心身プロセスです。しかし、普段の生活の中で、人々は、そのままの形で自分の情動と向き合うと言うことをしません。人は、場所や状況に自分を適合するために、生々しい情動をそのまま表現すると言うことをしません。仮面を被り、どこかで抑圧してしまっているのです。そして、抑圧してしまっているうちに、本当の自分の情動がどのようなものであるのかを忘れてしまうことすらあります。

吉福さんの「ワーク」の中で、参加者は、そうして忘れてしまった情動を取り戻していくのです。

そうしたワークの代表的なものに、「どけのワーク」があります。

「どけのワーク」は3人組で行うワークです。3人をA、B、Cとしましょう。

Aは、椅子に座っています。
Bは座っているAさんを椅子からどかそうとします。
Cはオブザーバーです。

Bは、力づくでAをどかそうとしてはいけません。あくまで、言葉や表現でAをどかそうとします。

Aは、Bの本気の思い(怒りなど)がしっかりと伝わってきたら、Bに席を譲ります。

Cは、AとBの様子を観察し、Aが妥協して簡単に席をどこうとしたら、席に戻ってもらうように指示する役目です。

Cの役目は重要です。多くの場合、かなり簡単にAがどこうとしてしまうことがあるからです。

ワークが始まると、最初はみんなぎこちなく、ニヤニヤしながらやっている人もいたりしますが、Aさんは、それではどきません。

次第に、Bさんの中に「怒り」などの情動が湧き上がってきます。そのエネルギーがMAXになったところで、全身全霊でAさんに向かって「どけ!」と叫ぶのです。そこで初めてAさんが椅子から立ち上がるのです。

僕自身もこのワークを初めて体験した時、Bさんのパートでは最初のうち「どけ!」という言葉にどうしても力が入らない。でも、やがて、自分の中の深いところに眠っていた怒りやそれに伴う悔しさや悲しさがブワッという感じで湧き上がってくる瞬間がありました。

それは、小さい頃に感じたことのある、身体が震えるほどの情動でした。

僕の場合、Aさんを椅子からどかすまで1時間ほどかかりました。その後の感覚は、なんとも言えない感覚です。ある種の放心状態になりますが、全てを出し切ったという感覚がありました。

情動の主体は怒りだったわけですが、「怒り」は自然な情動だということを、「どけのワーク」を通して体験的に知りました。Aさん役の時も、Cさん役の時も、それぞれ、深い体験がありました。人が100%のエネルギーで、自分の情動を表現しているのを見るのは、ある種清々しいものだったのです。

普段の生活では、例えば怒りなどの感情は人から嫌われそうですし、嫌がられそうなので、表に出さないものなのですが、本来、純粋な怒りは悪いものではないことではないし、自分が例えば理不尽な状況に追い込まれた時に怒りを感じるのは自然なことだと気づきます。

しかし、こんな過激な「どけのワーク」のようなことを経験すると、普段の生活でも怒りが止まらなくなってキレるようになってしまうのではないかと危惧する方もおられるかもしれませんが、実はそういうことは、ほぼ起こらないと考えてもいいかと思っています(危険があるケースについては、この投稿の最後に少し触れます)。

「どけのワーク」の中で、参加者は自分の中にある100%の怒りと、その怒りがおさまっていくプロセスを俯瞰的に見る経験をします。そうした経験をすると、人は自分の怒りを落ち着いて見ることができるようになるのです。

自分の怒りを見ないようにしてきた人にとっては、怒りが表に出そうになることは危険なことなので、抑え込もうとしてしまうのですが、それでは、怒りは解決されず、心の奥で燻り続けることになってしまいます。

燻り続けた怒りが飽和点を超えると、キレるという状態になってしまうかもしれません。キレるという状態は、例えば、怒りを炎に例えてみればわかりやすいかもしれません。

キレる人は、怒りの炎の中でもがいているので、熱くてたまらず、見境なく周りに攻撃を仕掛けてしまうのです。

一方、自分の100%の怒りを俯瞰する経験をした人は、怒りが湧いてきても、怒りの炎の外から俯瞰的に「怒りの全体」を見つめることができます。そして、自分の怒りを十分に認識した上で、適切な行動を選択することができるのです。例えば、怒りを感じた上で、理不尽な状況やその状況を作っている人たちに対し、怒りのエネルギーを使って、冷静に抗議するということができるのです。そして、怒りが必要でなくなったら、いつもの平穏な状態に瞬時に戻ることができます。いつまでも怒り続けるということがなくなるのです。

「どけのワーク」は、一見すると過激なワークに見えるかもしれませんが、そうではなく、非常に深い体験的ワークだと思います。

しかし、こうしたワークをすると、過去のトラウマ体験などを思い出して一時的に不安定な状況になる方もいらっしゃいますが、その場合に、「道場に座る」ことのできるセラピストが、その不安定になった参加者のプロセス信じて静かにそこにいると、その人なりの最も安定した方向に向かっていき、沈静化していきます。その際、自分が落ち着いて平常に戻っていくプロセスをセラピストと一緒に見つめることになります。

この種のワークは、「道場に座る」ことのできるセラピストでなければ、ファシリテートできません。それができないファシリテーターは、参加者および自分自身の情動を俯瞰することができず、情動の炎の中で、コントロールを失ってしまう可能性があるからです。

また、自分自身を俯瞰的に見つめることができない人、すなわち観察自我が非常に弱い人(例えば、反社会性の傾向、自己愛性の傾向の強い人)は、参加いただかない方がいいでしょう。「どけのワーク」の体験を都合よく解釈し、自分の暴力性を正当化することにもなりかねないなどということがあるからです。

観察自我が非常に弱い人へのセラピーについては、いつかお伝えします。


*焚き火のイメージでChatGPTに描いてもらいました。


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