「詭弁社会」 山崎雅弘 著 祥伝社新書
今の日本の世の中、詭弁に溢れています。
詭弁とは、「一見もっともらしいが、実は論理的に正しくない主張や説明を指す言葉 (p.96)」のことです。
例えば
「お答え/説明を控えさせていただく(p.14)」
丁寧に説明する気もないのに「丁寧に説明する(p.19)」
「○○の意図はなかった」と「誤解を与えたならお詫びする」(p.25)
自分は判断される側なのに「○○には当たらない」と主張する(p.30)
「再調査するお考えは?」との質問に、「その考えはない」という回答(p.36)。なぜ再調査しないでいいかの説明がない。
憲法に基づく国会召集要求を「期限は書いてない」と「見送る」(p.43)。
不正疑惑から逃げる詭弁の代表格「記憶にありません」(p.49)。
「始まったからには東京五輪応援を」という、善意につけ込む言葉(p.54)。
聞けば聞くほど「不安」になる、「安全・安心」という言葉(p.59)。
「じゃあ、これはどうなんだ」とテーマと違う話題を持ち出す、「ホワットアバウティズム(whataboutism)」(p.79)。
「承知していない」という言葉(p.82)。
「全体の一部だけを切り取る (p.143)」「責任を「敵側」に転嫁する (p.146)」などの歴史修正主義。
などなど、
この本には、様々な詭弁が実例とともに示されています。こうして列挙してみると、うんざりします。
こうした詭弁が罷り通っているのは、著者の言うように、「他国と比べて「批判的思考」を学校で教わらない(p.89)」日本の教育にも原因があるのかもしれません。
そして、それに拍車をかけるのが、政治家たちの喜び組と化した記者クラブのあり方でしょう。
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