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最終皇帝伝説――パスクァリヌス・レジセルムスの解釈


*Vaticinium Severi, et Leonis imperatorum, in quo videtur finis turcarum in praesenti eorum Imperatore, una cum alijs nonnullis in hac re Vaticinijs. Brescia 1596.
[序] 偉大なる皇帝たちにかかわるビザンツ(コンスタンティノポリス)およびアガレニコの皇帝賢者レオの預言。スイダによればこれらの預言あるいはヴェティチニイおよびクセロリフォつまりこれらの預言を刻んだ円柱はローマ皇帝セヴェリウスによって造られたもので、以下はスイダに記されたクセロロフォスの言辞である。
第一の碑文 〔図〕
A 二羽の烏あるいは鳥の間で汝は消尽するだろう。
B 線のかたちは時をしるし、これとともに最終的な遺産が残されるだろう。汝、雌熊から出た(に育てられた)ものはただ悲惨をなすだけ。汝は獰猛な烏たちの餌となるだろう。
C ふたりめの子はまた別の獣で、無抵抗の蛇は正午である(両者の間にある)。これは黒に対して無抵抗のうちにすべて黒となる。烏たちに獰猛な光が昇る。飢えた東方の一族によって汝は都の春夏の植物を失うとともに自らを失う(死ぬ)。
〔解説〕蛇は古代ローマ人たち、つづいてギリシャ人やエジプト人たちにおおいに崇拝された。この蛇はエピダウロスの神エスクラピウスと解されてきた。しかしギリシャ人たちは蛇を黄金色で描き、その権勢(支配力)をあらわそうとした。鷲がローマ帝国をあらわし三つの月(三日月)がトルコ帝国をあらわし、偉大なスルタンの旗幟とされたように。それゆえ、第一図の蛇は苦しむギリシャを意味している。ギリシャはコンスタンティノポリスの皇帝賢者レオの後、905年から1208年まで、303年にわたって外患内憂に苦められた。エグナティウスが言うように、この間、レオからギリシャの最後の皇帝ムルチフィロに到る約三十人の皇帝たちが帝国の第三の変転を見守った。この時期を第三時代(相)と謂う。ギリシャの第一時代(相)は、アレクサンドロス大帝がここに帝国(帝政)をもたらした前326年にはじまり、この時代(相)の帝国という名はピリッポの死つまり前235年までつづいた。ここに帝国の第二時代(相)がローマ人たちの支配とともにはじまる。この時、コンスタンティヌス大帝がビザンツにローマ帝国の覇権をおよぼし、この都はコンスタンティノポリスと称されることとなった。このローマ帝国は〔東西を纏めて統治し〕皇帝テオドシウスの時代までつづき、その後ローマ帝国は東のアルカディアで分割された。この分割は398年ごろのことで、それ以降、これらの地は東方コンスタンティノポリス帝国および西方ローマ帝国と呼ばれることとなった。後者はゴート族の襲来によって一時途絶するが、後にフランスのシャルルマーニュの掌握するところとなった。こうしてシャルルマーニュまで、東方は小テオドシウス、ヴァレンティヌス三世、そしてフラヴィウス・ヴァレリウス・マルティアヌスによって統治されたが、ここでコンスタンティノポリスの皇帝は終焉した。というのも、マルティアヌスの後にはレオ一世が即位したが、彼はギリシャ人で、東方ローマ帝国時代(相)はここに終わったから。そしてここに、460年、レオ一世によってギリシャの血筋に統治される帝国第三時代(相)がはじまり、ニケフォロスまで二十五皇帝がこれを後継することになった。その後、帝国はフランスに移されたが、このギリシャ帝国はニケフォロス以降もギリシャ人の血統による第三時代(相)としてムルチフィロ十六世皇帝までつづいた。そして彼をもってギリシャ人の血統による帝国は終焉した。そこでここまでギリシャ皇帝は蛇で描かれ、これがその(長さが)継続期間をあらわし、格言Aに謂われるように二羽の鳥によって目をくり抜かれる。「二羽の烏もしくは鳥の間で汝は消尽する(貪られる)」、これはギリシャ帝国が二羽の烏もしくは鳥に貪られる、つまり汝に叛逆する他の緒権勢によって滅亡せしめられると言われているようなものであり、そしてそのようになった。ここでその一方はムルチフィロで、彼はギリシャ帝国を征服することができると信じ、若き皇帝アレクシウスを殺害したが、早々に彼はヴェネト人とフランス人に捕えられてコンスタンティノポリスに連行されて激しい拷問の後に処刑されて死んだ。ムルチフィロは逃亡中、第二の烏つまりフランドル伯バルドゥイヌスに統治権を奪われ、エグナティウスその他の歴史家たちが言うように彼が都で皇帝となった。

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