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剥離、分離、罷免、剥奪

たとえば自分の手に対して、
「これは自分の手では無い」とどれほど強く念じたところで、
それは自分の手でしかない。
自分の手を自分の意識から開放することはできない。
何をしたところで(普通は)自分から分離されることがない手は、
それ自体がすでにアイデンティティである。

アートもそれに近い。
アートとはとても不思議なものでどんな風に装っても、
結局は自分のアートにしかならない。
他人のアートを自分によって表現できない。

そう考えるとアートはさきほどの「手」の感覚に近い。
発語したアートがアイデンティティなのではなく、
発語そのものがアイデンティティなのだ。

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