見出し画像

相対概念

浮世で起こる全ての事、フィジカル、メタフィジカルなもの、
それらをひっくるめ、あらゆる事象が相対的なものであるとするなら、
唯一の絶対である「死」でさえも、
つきつめて考えれば相対的なものにすぎない。

社会集団で起こるあまりにも膨大な事柄の中の一つである、
「別離」という事物はその事物から派生した「哀惜」という感覚も、
何かしらの相対の結果である。

ではその結果に対偶するものとは何かと問えば、
すなわち「快事」という事になる。

「悲しみ」と「喜び」が本当に対なのならば、
出会うことの喜びは必然として離別という悲哀と接続されている。

その接続からの断絶を図るのであればそのどちらも存在に耐える事はできず、喜びは悲しく、悲しみは喜ばしい事なのだ。

しかし、やはりどうしても悲哀は悲哀でしかなく、
その感情を物忌するためにも、もはや歓楽さえもなくなってしまえばいいと思っている自分がいまここにいるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?