competition

人間関係で心を患うということは往々にしてよく聞く話である。果たして、実際に患うだけのユーティリティーがあるものなのだろうか。たとえば執拗に自分を攻撃してくる人間があるとする。その事柄に対して、自身はどう振る舞うべきなのか。


攻撃の主な目的は、相手よりも上位に立ちたいという事が主因であろう。なぜ、上位に立ちたいと考えたか。立つことによる利点とは何か。そこには、事柄を軽便に運びたいとする上で、相手からの否定拒絶を喫する状態を回避したく、またそれが重要だと考えるからだろう。人間の、群生動物としてのルールとして、上位の人間には抗い難いという準則がある。そのレギュレーションを利用したいと考えたのが素因ではなかろうか。


人は群生であるから、必ずそこには上と下というポジショニングが発生する。上位に差昇りたいと願うのは普遍であろう。また上位置を保全したいとする心胸も、自然発生的なものであろう。それによって伴う弁難を受動する者には、必然的に抵抗が生ずる。その抵抗心が、心を患うという形で偶発するのではなかろうか。


人間は動物である。しかし自我がある。自我こそが人間と動物との線引を果たしている。このようなコンペティションから、能動的離脱を行う事も可能である。日々を平穏に過ごしたいものである。



豪 世倖
Yoshiyuki Gou

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