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100点満点

私は、小学校4年生まで成績がすこぶる悪かった。
授業はさぼらず聞いているし、ノートも取っていた。
と言っても、全ての教科を一冊のノートにとってたけど…(たぶん個性)
塾に通う事になった。
親や先生は、勉強のコツを掴めば成績が上がると話をしたようだ。
自分でも腹立たしかった。期待に応えたかった。すると余計に頭に入らなかった。

そして塾に行って少しづつ成績が良くなった。
ノートは教科別に分けた。赤色も使った。赤線も引いた。
テストで100点を取る事も出てきた。
成績も上がってきた’5’を取れる教科も出てきた。
でも正直疲れてきていた。
それが原因ではないが、中学3年の受験前に長期入院をした。(夏休みから年明けまで学校に行けなかった。医者は両親と相談して、病名と手術が成功する確率まで正直に話してくれた。めちゃくちゃ泣いた)
今までの努力が全て終わったように感じた。みんなに遅れをとり、置いて行かれる。挽回できない。絶望感・・・・

病気の辛さもあり、治療期間中ふと気づいたら病院の屋上にいた。怖かった。自分が無意識に屋上にいた事、こんなことしたら親が悲しむこと。

看護師さんたちはずーーっとよくしてくれていた。
きっと元気がない事。落ち込んでいる事。全部理解していただろう。
明るく努め、体調の良い日はベットで勉強していたし・・・
でも、所詮子供ですよね。バレバレだったと思います。

ある日、朝の検温の時に「今日は勉強できそう?」って聞かれた。「勉強しても、受験に間に合わないし、退院できなければ意味ないし」って答えた。
「そうだね。まずは元気に退院しようよ」「勉強は元気になってからでも出来るしね」、まあそういうだろうと聞き流していたら、「100点って先生のつくったテストだし、そんなの無視しちゃえ、勉強は大事だし覚えておかないといけない事はたくさんあるけど、勉強の100点じゃん」って・・・「言いたい事言いやがって、ヤンキー看護師が」ってちょっと小馬鹿にしていた。

「100点満点って、なんで満点なのかな?100点が満点ならそれ以上取れないよね。」何気なく聞き流した。

その後退院したが、受験まで数週間、しかも通知表オール1。
公立高校には内申点制度ってのがあって、受験科目以外の成績の5倍を内申点としてテストに加算する時代であり地域だったので、担任には「公立高校には行けない。私学も色々まわったがどの様な理由があろうとオール1の子は入学させるの難しいと言われた。唯一〇〇高校だけは、テスト一発で良いと言ってくれた」と言われた。「先生そんなもんなの?もうちょっと何とかならへんの?」って頼りなく思った。しかもこの高校自分の実力より上の高校だった。

入試は全般的にはまあまあ出来た。でも社会科だけはダメだった。記述で大きな間違いをした。
「高校浪人も一つだよね」って親や先生にもいわれた。
とっても嫌だった。

結果、なぜか合格した。裏口か?と思ったが家は貧乏な方なので、あり得ないと思った。同じ中学から10名程受けたが、私だけ受かった。他の保護者から直接うちの親が「病気じゃなくって勉強してたんじゃないの」って言われたと、大学に入る時に言われた。

高校1年の3学期、歴史の教師に聞いてみた。「先生、入試の社会のテスト思いっきり間違ってると思うんやけど、なんで合格したんやろ?」
「あれか?試験を作った側の求めてた答えじゃなかったけど、面白いし、間違いじゃないやんか。それが記述問題や、あれは100点以上やな」って・・・・さらに、中学の時の担任が必死に入試の点数だけで、評価してもらえないかとお願いしてくれたとも聞いた。(たぶんすべての私学で・・・)

「100点が満点ならそれ以上取れないよね。」「100点って先生のつくったテストだし」今になってわかる。期待に応えようとするとそれを越えられない。そしてみんなの協力があるから結果が出せる。

中学の担任、ヤンキー看護師。
そして、親や医者、その他協力してくれた人たち。
お礼を言いそびれてます。
私が今、楽しい時間を過ごせるのも、いやな気持になるのも、悩むのも・・・何より明日が楽しみなのは、全てあなた達の教えの賜物です。
ありがとう。

#あの会話をきっかけに

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