死ぬ前に“もったいないなー”と言った母
母は余命宣告されて2か月でこの世を去りました。
ただ、その一年前から難病と診断を受け、覚悟はしていたようです。
母の4年前に父が亡くなってから、そしてそれよりさらに30年近く前に18の息子(私の弟)が亡くなってから、家族としての彼らの時間は母の中で止まっていました。父の荷物、弟の荷物、そしてもっと以前になくなっている、父の両親の物、父の小学校からの成績やらノートもそのまんま。それに加えて、母が亡くなる前の年に相次いで亡くなった母の両親(93歳と101歳)の持ち物もほぼそのままの状態でした。
病院から退院してきて、荷物を少しずつ整理しようにも身体が、特に指が痛くてほとんどできない中で手伝いに行った私に、『わたし、色々教えられるのに、もったいないわ。死んだら本当にもったいない』とつぶやいたのです。
確かに、母は父の良き妻として中華料理もイタリア料理もとても美味しく作れて、海外では着物を着るのも、お花を活けるのもお茶の子さいさい、編み物も、洋裁も上手く、また人をもてなすのがとにかく上手な、誰からも好かれる人でした。
勉強に関しては何を聞いても答えられる“歩くWikipedia”と私が呼んでいた父と、料理やお裁縫なら何でもこなす母がいたので、私はインターネットのない時代でも不便を感じたことがない幸せな子ども時代、なんなら20代までを過ごしたと思います。
育った環境のお陰もあり、苦労知らずな私は、学校や社会に出て、人より知らないことが多すぎて、常々恥ずかしいと思っていましたし、自信がなくて、ひたすら習う、学ぶを続けてきました。ただ、海外にいたことで経験したことは、人とは違うものを積み上げてきたかもしれません。
あーこんなことなら、もっと両親から色々と学んでおくべきだったと今さらながら思うこともありますが、60手前になってもまだ学び足りない!と気持ちが焦ることの方が多く、未だに色々と知りたがりです。
が、このところ母のもったいないなーが、頭の中に響くのです。
同じこのセリフを言う前に、私はそろそろ自分の中の学んできてお伝えしたいことを、経験してきたことを伝え始めないと、伝えきらずに死んでしまうのではないかな。と感じるのです。面白い話もいっぱい持っているのです。
ですから、このnoteに書きたいことが沢山あります。が、体裁を整えるのが正直いって、めんどくさい。タイトルとか、目次とか?イラストをいれたり、引用した本をAmazonから画像もってきたりしている間に伝えたかった熱が冷めていっちゃうのですよ。
だから、今日は体裁関係なく、書く事を優先してみました。読みづらかったらごめんなさい。大事な時間を奪ってしまいましたね。
でも、どうぞこれを読んでくださった方、今すぐ感じている事、今までの経験、想い、学んできて伝えたいこと、書いて教えてくださいね。きっとオンリーワンの内容ですもの、死んだら伝えられなくなって、もったいないですから。私もそうしてみます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?