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新潟国際アニメーション映画祭2024日記

昨年に引き続き、新潟国際アニメーション映画祭を訪れることにしました。2023年スタートした映画祭で、今年が第2回。昨年は観客として参加しましたが、それが縁となり、今年はコンペティション部門の選定をお手伝いし、そして会期中のQ&AのMCもいくつか担当することになりました。
なので、去年よりは「なかのひと」に近付いたので、あまり勝手なことも書けないのですが、せっかく行くので日記ブログを書いてみようと思います。
 
<3月15日(金)>
12時に東京駅へ。新幹線の改札に近い売店エリアで「つばめグリル」がハンバーグ弁当を売っていたので、おおっと思って購入。12:40発の「トキ321号」に乗り、出発。早速車内で至福の駅弁タイム。車内販売が回ってきたので、コーヒーを買う…。あれ?新幹線内のワゴン販売って終了したのではなかったっけ?東海道新幹線だけの話なのかな?やはり車内販売はありがたい。
 
パソコン開けて、なかなか書き終わらないベルリン映画祭のレポートを書いているうちに、あっという間に新潟駅に到着。東京駅から2時間って、本当に近い。
 
家を出る時に慌てていて(そしてなんだか暑かったからか)、マフラーを忘れてしまった。ん-、東京はこれから暖かくなりそうな気配だけど、新潟ではまだマフラー必要だよな…。とはいえ、3月中旬にマフラーを買うのは抵抗がある…。どうしよう。
 
新潟駅に降り立つと、お、寒くない。15度くらいあるみたい。今日が全国的に好天なのかな。タクシーに乗り、10分ほどでホテルに到着。
 
ホテルから徒歩で数分の映画祭事務局に行って、旧知の方がいらっしゃったのでご挨拶。つづいてIDパスをピックアップ。さらに、見たい上映回の予約をまだしていなかったので、スタッフの方に助けてもらいながら、スマホで登録などを行って作業を進めて、無事に希望チケットを確保。
 
16時45分から、新潟日報社内の「日報ホール」という会場でオープニング・セレモニーが行われるので向かってみる。雄大な信濃川にかかる万代橋を渡り、徒歩で10分程度。

万代橋から眺める信濃川

会場入り口で、もとベルリンの「フォーラム部門」のディレクターで、現在はドイツのライプツィヒでドキュメンタリーとアニメーションの映画祭(ユニークだ!)を主催しているクリストフ・テルヘヒテさんに遭遇し、ご挨拶しつつ近況立ち話。クリストフさんは先週岡山にいらっしゃったそうで、僕もたまたま岡山県真庭市で開催された「ニュー・ガーデン映画祭」を訪れていたので、ニアミスでしたね!と語り合う。
 
さて、セレモニーは、映画祭の実行委員長や、コンペの審査員の方々が登壇してご挨拶。順調に進行し、17時半からオープニング作品の上映、ということになるはずだったが…。
 
司会の方から、仮設のスクリーンに少し不備があり、張り替えるので、上映は19時からとしたいとの報告があり、会場がざわつく。確かに、スクリーンのシワが目立つな、とは思ったものの、ここで張り替えるか…、と映画祭事務局の立場を考えると、東京の映画祭勤務が長かった身としては気の毒で気を失いそうになる。
 
さらに、19時まで待てない人のために、別会場で、人数限定で、18時にスタートさせる上映の提案がされた直後、その案も壇上で撤回されるなど、方針がライブで迷走しながら固まっていく。ただ、その状況を笑いに変えていた司会の方がとても巧みで、大トラブルのはずなのに会場の雰囲気は和やかなのが奇跡的で、とても感心した!
 
さて、1時間以上空いたので、いったん外に出て、向かいの商業施設に入ってマフラーを探そうと思ったけど、予想通りもうマフラーは売っていない。無印にもGAPにも無くて、まあそうだよなー、と諦めかけたところ、ユニクロもあったので寄ってみたら、あった!しかも980円でお手頃。やっぱり夜は寒いので、マフラー確保で一安心。
 
19時に戻り、今度は無事にオープニング上映スタート。『クラメルカガリ』。コンペに別作品を出品している塚原重義監督の作品。大正~昭和初期的時代にSF的発想を自由にブレンドした世界観が唯一無二の個性。
 
上映終わり、おとなしくホテルに戻り、パソコン仕事を少ししていると、突然のメールが入り、かなりの急用だったのでそれから1時間ほどバタバタし、23時にひと段落。ふうー。ビールを頂いて就寝。
 
 
<3月16日(土)>
ピーカンの晴れ!7時起床、ホテルのバイキング朝食をたくさん頂く。ホテルの朝食って無限に食べられそうな気がするのはどうしてでしょうか。もちろん、新潟のお米が真剣に美味しく、止まらない。
 
昨夜の急用に関する作業をすべくパソコンに向かい、9時半に完了。それから本日のQAトークの準備をして、11時にホテルを出て、徒歩10分ほどの距離にある会場の「市民プラザ」へ。昨日に続きそんなに寒くなく、14度くらいあるみたい。
 
僕はコンペの日本映画『クラユカバ』の上映後のQ&AのMCを仰せつかっている。
 
昨夜のオープニング作品『クラメルカガリ』は塚原重義監督の長編2作目で、今朝上映されるコンペティション部門の『クラユカバ』が第1作。スクリーンでその『クラユカバ』を改めて再見し、世界観に気持ち良くはまる。昭和レトロ的時代設定に、地下で展開される組織間抗争を描くSF探偵アクションドラマで、世界観、メカの造形、そして記憶と映画を結び付けたドラマ性がいずれも突出した個性を発揮していて、実に見応えがある。美術設計のあらゆるディテールに目が奪われ、素晴らしい。
 
さて、上映前に運営サイドから相談があり、次の上映との間の時間が十分に取れていないので、Q&Aはロビーでやりましょうとのこと。なるほど。
 
上映が終了し、僕がまず登壇して塚原監督を招き入れ、監督と数分トークしたのち、「続きはロビー外のギャラリースペースで行いましょう」と観客に呼びかけ、場所を移動。会場ロビーを出たところのギャラリースペースにはコンペ作品のバナーが掲示されていて、そこが急きょQ&Aの場となる。『クラユカバ』の吉田プロデューサーが観客に「こちらですよ!」と呼び掛けて下さるので、僕もそれを真似て観客の流れをこちらに誘導する。
 
監督、プロデューサー、そして僕が椅子に腰かけると、集まったお客さんたちが床に座ってくれて、即席のQ&A環境ながらとても親密で雰囲気のよい場が作られた!柔軟な対応が良い結果を産むという、これは映画祭ならではの楽しさだなあと実感。

Q&Aの様子(別作品)

塚原監督からは、『クラユカバ』が構想10年であったこと、長編製作のモチベーションとして、短編には入れにくい枝葉となる会話などを膨らませたいと思ったことや、大正昭和的時代に関心を持ったのは小さい時からで、もはやきっかけが思い出せないほどだが、好きな映画の1本として岡本喜八監督の『独立愚連隊』を挙げていて、なるほど『クラユカバ』の抗争劇につながる部分もあって腑に落ちるなど、興味深い話が続々と出てきて楽しい。
 
しかし、次にMCを担当する作品の上映時間が迫ってきてしまい、吉田プロデューサーに場を託し、僕はここで中座。なんとも申し訳ないのだけれど、場に良い雰囲気が充満していたので、みなさん暖かく送り出してくれる。
 
13時半からスイスのサム・ギヨーム&フレッド・ギヨームの兄弟監督による『オン・ザ・ブリッジ』。来日はフレッドさんおひとりで、上映後に登壇、そして同様にギャラリースペースに移動してQ&Aを行う。
 
『オン・ザ・ブリッジ』は、施設で暮らす余命わずかな人々に話をしてもらい、その証言というかモノローグを録音し、アニメーションの中の人物たちの語りとして聞かせるという画期的な形を取っている。

人物たちは、人生最期の旅に向かう列車に乗り合わせる乗客という設定を与えられ、彼ら/彼女らは(録音された)実在の人々の発言を劇中の人物として語る。

制作方法として、俳優たちがモノローグを語りながら演じる姿を撮影し、その映像をアニメに転換(ロトスコープ)して手で着色し、俳優たちの声は元の証言の声に置き換える。なので、セリフと口元が完全にシンクロしているのだけど聞こえるのは元の人々の声である、という作られ方だと聞いて、とても驚く。
 
ドキュメンタリー・アニメーションの新しい形であると捉えていいだろうし、これはさらに多くの人の目に留まってもらいたい作品だ。ただ、フレッド監督としては、ドキュメンタリーとジャンル分けされることを否定するわけではないけれども、人々の発言の具体的な内容よりは、そこに込められている感情を重視したので、必ずしも「ドキュメント」がしっくりくるわけでもない様子。なるほど。
 
非常に美しい映像について、「エドワード・ホッパーを想起させます」と僕が質問すると、「その通りで、ホッパーの空間や色彩に影響を受けていますし、他には、スイスのフェリックス・ヴァロットンという作家も重要です」と答えてくれて、確かにフェリックス・ヴァロットンとホッパーは空間や構図が似ていて(ヴァロットンはホッパーより20歳ほど年長)、絵画的な本作への繋がりはとても興味深い。
 
外に出て15時、「ラーチャン屋」さんというラーメン店で、店名の由来と思われる「ラーメンとチャーハン」をいただくと、ラーメンもいいけど特にチャーハンがとても美味しい!お米のおいしさもあるのだろうか。チャーハン好きとしては(なんでも好きだけど)これは嬉しい。

信濃川にかかる万代橋を新潟駅方面に渡り、新潟日報社の中の「日報ホール」へ。ミシェル・ゴンドリー監督がノーム・チョムスキーに話を聞いた『背の高い男は幸せ?』(2013)を見る。今年の特集上映「アニメーション・ドキュメンタリー」の1本。いま僕がとても興味を持っているジャンルなので、タイムリーな特集だ。特集は他には『戦場でワルツを』(08/アリ・フォルマン監督)と『ロックス・イン・マイ・ポケッツ』(14/シグネ・パウマネ監督)で、前者は見ているけど後者は未見で、しかし今回時間が合わないのでこれは実に無念。
 
『背の高い男は幸せ』を見るのは初めてで、ゴンドリーがこのような作品を作っていたことも知らなかった。なぜ知らなかったのだろう?チョムスキーの語りを、ゴンドリーの手作りのアニメが彩っていく作りで、チョムスキー生い立ちと思考を中心として、幅広く話題は展開し、「認識」を巡る考え方など興味が尽きない。ああ、これは「テセウスの船」の話をしているのだな、と思いながら見ていると、まさしくチョムスキーがテセウスの船の話題を出すなど、こちらの思考と重ねていくことが出来る刺激的な作品で、大満足。
 
果たしてこれはアニメーションなのか、ドキュメンタリーなのか。どちらもイエスであり、そしてどっちでもいいというか、垣根は無い、というのが正解なのだろう。
 
続いて「日報ホール」から歩いて5分程度の距離にあるミニシアター「シネウィンド」へ。今年の映画祭では高畑勲監督特集を組んでいて、こちらもできればたくさん見たいのだ。劇場の入り口で、すかさず井上支配人が声をかけて下さった。昨年も僕の顔を覚えてくれていることに感激したのだけど、今年も速攻で声をかけてくれて、またまた感動する。

上映前に井上さんが登壇し、「映画祭が始まりました!そしてみなさんにはぜひコンペの作品をご覧いただきたい」と、シネウィンドで上映の無いコンペ部門作品をアピールしている!これには本当に頭が下がる。映画祭全体の盛り上げ、コンペへの動員、そしてもちろんアニメーション世界のすそ野の広がりを意識した行動に敬服する。
 
そして見たのは『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)。やはり本当の意味で画期的な作品ではないかと、改めて痛感する。余白を深く味わい、かみしめる。高畑監督が海外のアート・アニメーションに与えた影響の大きさは計り知れないものだと、改めて深くかみしめる。
 
上映が終わり、劇場の外に出ると、女性の方に「ヤタベさんですか?」と声をかけられる。なんと、エックスで繋がっている方で、僕と映画解説者の中井圭さんが年末にしゃべるYouTubeを見て下さっているとのことで、ここでも大感動。新潟市在住の方に届いていたとは!その方はシネウィンドでインド映画の上映企画も組んでいらっしゃる方で、なんとも素晴らしい。映画祭のこういう出会いは、本当に何物にも代えがたい。
 
本当に偶然なのだけど、そこから本物の中井圭さんと合流し、21時から飲み開始。まずは居酒屋で1時間半、近況と最近の映画(業界)の話をしてから、次に中井さんが主催されていた学校の受講生さんたちが4名合流し、別のお店で0時半まで映画祭で見た作品について意見を交わす。楽しすぎる。
 
中井さんの主催する学校で僕が映画祭の世界についてレクチャーしたことがあり、その際に新潟国際アニメーション映画祭も紹介したのだけど、そこで興味を持った受講生の方々が今回来てくれたとのこと!なんと、嬉しい!そして映画祭に貢献できた!
 
東京からこの映画祭に来る人が、昨年より増えている気がする。これは本当に希望が持てる!
 
 
<3月17日(日)>
曇り。それほど寒くない。朝食が、止まらない。お米が美味しくて何杯でもお代わりしてしまう。普段それほどお米を食べる生活を送っていないので、本当に美味しい。
 
10時から、コンペ作品のメイン上映館となっている「市民プラザ」にて、ブラジルのマルセロ・マラオン監督による『深海の奇妙な魚』を見る。選定業務で見て以来2度目の鑑賞で、またもや本作の不思議な面白さに魅了される。スーパーパワーを持った女性が、強迫神経症的に整理整頓をする亀と、空飛ぶ「きんとん雲」的な雲を味方に、とある病気を治す薬草を探す旅に出る物語。薬草のありかの地図が書かれた陶器のかけらを集めるところから始まり、後半はその薬草があると言われる深海に潜り、様々な深海魚が画面を彩っていく。
 
ヒロインの女性は、敵に襲われると「私のお尻はゴリラ!」と唱え、お尻からゴリラが出てきて相手をなぎ倒していく。Q&Aでマルセロ監督は、ブラジルが女性にとって生きづらい社会であり、電車にも女性専用車両があり、女性が一人で出歩くのは危険であると説明した上で、親しい人が痴漢の被害に合うこともあり、その女性のお尻がゴリラになって触ってくる悪い男たちをやっつけられたらいいのに、という発想でスーパーヒロインを構想したとのこと。
 
監督はとても愉快な方で、しかし自分は52歳で男性主義に無自覚にも染まっている部分があるため、女性スタッフのアドバイスで映画のかなりの部分を削り、勉強しながら作っていったと語り、その誠実さが暖かい作風に滲み出ている。ヒロインはアルツハイマーの祖父を助けたい一心で戦っており、最後は巨大魚と戦う。作品に登場する魚はすべて実在すると断りつつも、最後の巨大魚だけは空想の魚で、自分勝手(セルフィッシュ)な社会権力の象徴とした、ゆえに魚の名前は無いのです、と監督が説明する。僕が「セルフィッシュという名のフィッシュですね」とつっこむと、オー、グレイト!と喜んでくれた。ハハハ。
 
ブラジルのアニメーションの現状について質問があり、監督によれば、ブラジルにアニメーション映画業界が発足して90年ほど経つが、そのうち70年間は短編(CM含む)が中心で、長編は数えるほどなかったという。ただ、この20年ほどで状況は激変し、各地で長編の製作が盛んになり、現在は20本の長編が製作中だと伝えられているらしく、ブラジルのアニメーション業界の最良の時期を迎えています、とのこと。こういう生の話は実に貴重。
 
ブラジルから40時間かけて新潟に来てくれた、これが初日本だという監督。素敵な出会い!
 
急ぎタクシーに乗り、万代橋を渡って、日報ホールへ移動。ドイツのライプツィヒのドキュメンタリーとアニメーションの映画祭のディレクターであるクリストフ・テルヘヒテさん(元ベルリン映画祭「フォーラム」部門ディレクター、元マラケシュ映画祭ディレクター)による「ドキュメンタリー・アニメーションについて」のレクチャーがあるので、これは是非聴講したかったのだ。到着した時には最初の20分を過ぎてしまっていたのだけど、残りを熱心に聴く。
 
今回上映された『戦場でワルツを』、『背の高い男は幸せ?』、『ロックス・イン・マイ・ポケッツ』の解説を軸に、ドキュメンタリーをアニメーション化することによる効果を解説してくれる。実写で描けない部分、例えば、物理的に映像が存在しない事象について、アニメーションで描くことが出来るし、さらには、被写体が映像に現れることが出来ない(危険である)場合や、過剰の暴力場面などは、アニメーションで演出することが出来る。しかし、ただ映像では描けないフッテージをアニメーションで補填しているだけの作品に意味は無く、そこに魂を揺さぶるプラスアルファを加えることが肝要だとクリストフさんは強調し、得心。
 
今回のコンペに入っている『スルタナの夢』と『オン・ザ・ブリッジ』は広義のドキュメンタリー・アニメーションに含めていいはずの作品で、いずれも秀作であることもあり、実はいま興味が尽きない。さらにもう1本、去年のヤマガタで上映され、今回のニイガタでは「世界の潮流」部門内の「新しい制作方法」というくくりで上映されるフランスの『ニッツ・アイランド』という大問題作がある。これは、オンラインのサバイバルゲームの画面をそのまま作品としたもので、画面はゲーム、登場人物たちはプレーヤーのアバター、そして声のやり取りは実際のプレーヤーたち(ゆえにドキュメンタリーたりうる)、という内容。画面上では、サバイバルのための殺し合いや、仲間作りが展開していく。
 
これをアニメーションと呼んでいいのか、そして、これを参加プレーヤーたちのやりとりを描くドキュメンタリーと呼んでいいのか。壮絶に興味深い作品なのだ。これらすべての作品、日本各地で上映されるといいのだけれど。
 
13時半に昨日も行った「ラーチャン屋」さんで、今度はチャーハンの単品を頂く。本当にここのチャーハンは美味しい!

劇場に向かうと、野外のステージでライブのイベントをやっている。多面的な映画祭の盛り上げ、いいなあ。

14時15分から、コンペ作品でタイの『マントラ・ウォリアー ~8つの月の伝説~』。アジアの作品がもっとコンペに増えるといいのだけれど、本作からはタイの製作レベルの高さが伺える。宇宙の秩序たる「スピリッツ」を守るウォリアーたちが、王国に仕えながら敵と戦うスペース戦闘活劇。日本の戦闘アニメの影響と、アメリカのCGの技術と、タイの伝統文化とが混じった、ハイブリッドな作品だ。壮大な連作の1本であるらしい。早く続きが見たいぞ。
 
僕は本作ではMCを担当していないので、上映後にホテルに戻ってみしてから、慌ててまた外へ。
 
久しぶりに『火垂の墓』を見るつもりで、高畑勲特集を上映している「シネウィンド」に向けてタクシーに乗って、上映開始の16時20分ギリギリに到着。ああ間に合った、やれやれと思っていると、井上支配人が「『火垂の墓』は市民プラザですよ!」。ああ、やってしまった。高畑特集=シネウィンドと勝手に思い込んでしまった。痛恨の会場間違え。ああ、もう間に合わない。ああ、無念。
 
まあ、『火垂の墓』は泣き過ぎて大変だろうから、今回はいいのだ、と自分を納得させる。ニイガタのおかげで完全に高畑勲モードになってしまったので、東京に戻ったら見直せる限り見直そう。
 
18時20分から、「イベント上映」部門で、スタジオ・ポノックの短編オムニバス『ちいさな英雄~カニとタマゴと透明人間』(18)。これは初見だったのだけれど、知らなかったことを恥じるばかりの素晴らしさ。川の中で暮らす家族のファンタジー『カニーニとカニーノ』(米林宏昌監督)、こどもの食料アレルギーのつらさという画期的な内容の『サムライエッグ』(百瀬義行監督)、そして透明人間の悲哀を描く『透明人間』(山下明彦監督)、まったく三者三様で個性が際立っている。
 
中でも『透明人間』の悲哀の感情と浮遊感とスピード感は、もう言葉にならない素晴らしさ。本当に驚いた。山下監督は、『君たちはどう生きるか』でも中心的な役割を果たしているアニメーターでジブリ作品との縁も深い存在。いつか長編監督作品が見られる日が来るだろうか。来てほしいと切に願う…。
 
続いて19時45分から、『劇場版GREAT PRETENDER razbliuto』(24/鏑木ひろ監督)。詐欺集団を主人公にするテレビアニメシリーズが前にあって、僕は残念ながらその存在を知らなった(調べてみたら、当初はNetflixで配信されたとのこと)。そのシリーズの前日談として作られたのがこの映画版であるとのことで、なるほど、今度ドラマの方も見てみよう。
 
上映後のトークも聴きたかったのだけど、後ろ髪引かれる思いで会場を出て、旧知の方との飲みへ。東京国際映画祭時代に同僚だったIさんが、新潟国際アニメーション映画祭の東京事務局長をされていて、食事に誘ってくれたのだ。ご指定の寿司居酒屋へ。かけつけビールのあと、日本酒とともに7品にぎりを頂き、ああ、至福の旨さ。これこそが、新潟の夜の醍醐味。

続けて、日本家屋バーのような素敵なお店に移り、映画祭の裏話や業界の現状や昔話などを織り交ぜつつ、1時半まで痛飲。酔っぱらった!
 
 
<3月18日(月)>
7時半起床、ああこれは二日酔いだ…。シャワー浴びて、朝食食べて(不思議に二日酔いでもたっぷり食べられる)、パソコン少しいじってから、外へ。晴れ、少し曇り。気温は7度くらいに下がっていて、昨日に比べてぐっと寒い。
 
10時から「市民プラザ」で、コンペのスペインの作品『スルタナの夢』。監督の来日が無いのが本当に残念。スペインの画家の女性がインドを旅し、「スルタナの夢」という20世紀初頭に書かれたフェミニズム・ファンタジー本に出会い、作者や、ゆかりの地を回り、自分の内面とも向き合っていく内容で、ドキュメンタリーであり、エッセイであり、スピリチュアルな旅でもある。一生の宝物になる作品だ。
 
続けて、12時10分から、同じくコンペで、カナダのジョエル・ヴォードロイユ監督による『アダムが変わるとき』上映と、QAトークMC。もうこの作品もどうしようもなく好きでたまらない。長身で太目の体を持ち、いじわるな祖母は「あんたは胴長だ」と言い残して亡くなり、粗暴な同級生からいじめられる青年アダムの冴えない夏休みを描く、オフビートコメディドラマ。優しきアダムのささやかな妄想や小さな奮闘の、いかに心地よいことか。一見クールなのだけど、実は感情をとても繊細に描いていて、愛さずにいられない。
 
ジョエル監督はミュージシャンでもあり、プロのバンドでドラムを叩いているとのことで、劇中の音楽は(既存の曲を使用する場合の著作権料を節約するため)、全部自分たちで作ったと説明してくれて、「スコアが、少しホラー風なのはどうして?」という質問に対し、「ジョン・カーペンター・インスパイアです」と笑いながら答えて、大納得!そういうセンスがいちいち素敵なのだ。
 
監督の所属するカントリー・フォークのバンド「Avec pas d'casque」は、ケベックでは結構知られているそうで、会場にいらっしゃったカナダの方によれば「え、あのバンドのドラマーが映画作ったの?」と思ったらしい。そして、僕が驚愕したのは、そのバンドのボーカルがステファヌ・ラフルール監督で、僕の心の1本『You’re Sleeping Nicole(Tu Dors Nicole)』(14)の監督だったのだ!この興奮を共有できる人はほとんどいないのだけど、もう自分の中では大騒ぎ。自分が素敵だと思っていたカナダのインディー・シーンがこんな形で繋がっていたとは。

僕が愛する作品『You’re Sleeping Nicole (Tu dors Nicole)』の素敵なポスタービジュアル

QA終わってからもジョエル監督とお話しして、いったん解散が15時。見ようと思っていた『セロ弾きのゴーシュ』の時間は過ぎてしまったので、のんびりと(そしてしっかり会場を確認し)、シネウィンドへ。15時55分から、高畑監督特集で『おもひでぽろぽろ』。細部をすっかり忘れていたこともあり、完全に没頭。
 
18時から、映画祭のレセプション・パーティー。「日報ホール」がある新潟日報の建物の20階にあるゴージャスなスペースに、大勢の人が集まり、交流。コンペの監督たちとも再会して新潟の感想を改めて聞いたりして、特にびっくりしたのが『深海の奇妙な魚』のブラジルのマルセロ監督。本日は新潟市に雪が降った(というか舞った)のだけど、52歳のマルセロ監督、これが人生初の雪だったとのこと!実は、雪は珍しいでしょう?と聞こうと思ったのだけど、ブラジル人にとって雪が珍しいなんてクリシェだなと思って聞くのを止めたのだったけど、本人から話してくれるとは。「思わず親に電話して、服についた雪を見せたよ!」って喜んでいて、本当にナイスなマルセロさん!
 
まったく時間が足りず、話したい人がもっといたのだけれど、次の予定に移動。
 
これからコンペの審査員の3人と、コンペの選定委員を務めた(僕を含めた)4人の交流ディナーで、隠れ家的に素敵な日本食レストランでお話する。その前、レストランに向かう道中、審査員の一人であるカナダのアニメーション作家マイケル・フクシマ監督とタクシー車内で初めてお話して、僕に対して「あなたのQAの司会はいいですね。とても作品が好きなことが伝わってきます」と言ってくれて感激。「いやあ、監督たちが本当にみなさんいい人なので」と答えると、「アニメーションの監督は控えめな人が多いでしょう?」と聞かれ、「確かに(以前の職場である実写映画中心の)東京国際映画祭に比べると、優しい監督が多いことに驚いています」とお返しする。続いて僕が「ひょっとして外交的でおらおら(失礼)な実写監督たちに比べると、アニメーションの監督は幼いころから部屋で絵ばっかり描いていたからですかね?」と尋ねると、フクシマ監督は爆笑して「その通り!」。
 
食事会は、前半は審査員たちとAIや差別構造などについて意見を交わし(当然のことに、個別の作品には触れられない)、後半は選定委員4名(研究者の須川亜紀子さん、批評家の藤津亮太さん、アニメーション作家の矢野ほなみさん、そして僕)+プログラミング・ディレクターの数土直志さんの5名でお店の隅に立ったままで固まり、みんな言いたかったことを一気に放つかのようなノンストップトーク。いやあ、何という楽しく充実したひと時であったことか!
 
あっという間に23時を回り、残念ながらお開き。ホテルに戻って0時にダウン。
 
 
<3月19日(火)>
一応晴れ、14度くらいで、寒かった昨日に比べるとかなり暖かくなった。
 
10時から、コンペでコロンビアのディエゴ・フェリペ・グズマン監督による『アザー・シェイプ』上映。僕はQAのMCを担当。『アザー・シェイプ』も奇想天外な物語。四角や立方体が支配する世界を、流動的な形を持つ地球外存在が襲い、人々は自分の体を四角に矯正し、月に避難するロケットに自分の体をはめ込んで脱出を図る。顔を細長い四角型にするために大型の万力で顔の両側を押さえつけていた主人公は矯正に失敗し、一度目の脱出船からはじかれてしまい、不適格者の集まりに送られる…。まったく、こう書いていて、見ていないとさっぱり伝わらないだろうなと思ってしまうのだけど、異様な迫力に満ちた作品なのだ。
 
グズマン監督は、いつの頃からか、世の中は四角で溢れているなと意識するようになり、それがオブセッションになってしまったと語ってくれる。なので、主人公は自分でありつつ、他の登場人物にも自分の一部を託して物語を作ったといい、本作にセリフが一切使われていないのは、セリフ無しで気付けることがとても多いという考えに沿ったのだという。「どのように自分の世界観をスタッフに伝えるのか?」という質問に対しては、「一言説明しただけで、身の回りにいかに四角が多いかを誰でもすぐに気づくことが出来るので、簡単なのです」と答え、確かにこう話している場所の床は四角いタイルの集合で出来ていて、もう今後世界は今まで通りに見られないかもしれない!
 
「型にはめられ、社会にフィットするように強要される現代への風刺と見ていいか?」という僕の質問には、「もちろんそれはもうひとつの側面です。型にはめようとして、強引に押し込まないとなかなかはまらないのがラテン・アメリカ人の特徴です」と笑う。

『アザー・シェイプ』のグズマン監督と、コメントに大喜びのMC…

面白いなあ。長編アニメーションの世界は広い。こんな突飛な発想を長年温め、何年もかけて長編作品化していく監督たちの感性と根気と、ようやく人に伝えられる歓びに裏打ちされた人柄の温かみに触れて、前職の東京国際映画祭時代とは異なる刺激を浴びている気がする。実写中心映画祭、ドキュメンタリー映画祭、アニメーション映画祭の3つの映画祭を内部から(あるいは内部に近い距離で)経験したことになるけれども、すべて同じ映画で垣根は無いという思いと、それぞれに個性はあるなあという実感と、ああ映画祭は面白い。
 
そして、やはり「新潟国際アニメーション映画祭」が長編アニメーションに特化していることが重要で、途方もなく長い道のりであろう長編を作り遂げた世界各地の監督たちの個性に触れ、その言葉に耳を傾けることは、かけがいのない刺激と経験を観客に与えてくれる。
 
グズマン監督との話が楽しく、続けて観るつもりにしていた『赤毛のアン』を逃してしまった。やはりMC業務がある日のスケジューリングは気を付けないといけないな。
 
時間が空いたので、昨年行って美味しかったラーメン店「二葉」を再訪し、味噌ラーメンを頂く。美味しい。ただ、昨年はピリ辛を食べて美味しかったのだったと思い出し、ピリ辛にしなかったことを少しだけ後悔。また来年来よう!

スタンダードの味噌もとても美味!

14時半にシネウィンドに行き、高畑監督特集で『パンダコパンダ』と『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』の併映。一席置いた隣に座った、母親と来ている5歳くらいの少女がテーマ曲に合わせて体を揺らしていて、心底幸せな気分になる…。そして、ここからずーーーーっと、頭の中でパンダコパンダの歌が鳴り続けている!
 
ホテルに戻って小休止してから、17時からのトークを聴くべく「市民プラザ」に向かい、到着すると、また間違えた!「日報ホール」だった!慌ててタクシーに乗り、ほんの数分で着くので、ギリギリ開始に間に合った。もう、本当に集中力が崩壊している。
 
片渕須直監督と、臨床心理学者でアニメーション研究者の横田正夫氏との対談で、テーマは「高畑勲という作家のこれまで語られていなかった作家性」。
 
高畑監督は、人物の意識と無意識が瞬時に併存する時があることや、目線の動かし方の巧みさ、美を認める意識について、自然の中の人の営みが導く美について、そして合理性と非合理性の「調和」にこそ高畑監督の神髄が見られるという指摘に、深く頷くばかり。『火垂の墓』と『かぐや姫の物語』に多く言及しつつ、『隣の山田くん』の射程の長い面白さについて、あるいは『おもひでぽろぽろ』の記憶の表出の3段階(普通に思い出すこと、夢うつつ状態で思い出すこと、そして強いショックを受けてはじめて思い出すこと、の3つの層)の指摘など、滅法面白い。
 
『おもひでぽろぽろ』で面白かったのが、高畑作品ではしばしば分裂したパーソナリティが描かれるが、『おもひでぽろぽろ』ではラストにふたつのパーソナリティが合体する、と片渕監督がコメントした時で、横田先生は「反論があります」と場内の笑いを誘ったうえで、あの作品では20代のヒロインが子供時代の自分に背中を押されているのであり、パーソナリティは分裂したままである、と指摘。いや、まさに。
 
片渕監督は、高畑監督が遺してくれたものに対し、次世代は十分に理解できておらず、引き継げていないのではないかと危機感を表明し、より真摯な向き合い方が必要だと訴え、しかし横田先生は片渕作品にこそ高畑監督が引き継がれていると指摘し、片渕監督苦笑い、など、本当に素敵なトーク。これは、是非書き起こして記事にしてほしいなあ。
 
今回トークは2つしか行けなかったのだけど、全体では8つも組まれていて、全て行きたかったとの思いも強まるばかりだけど、全ては経験出来ないのが映画祭のさだめ。回り切れないほど魅力的な内容を備えているという点で、すでに新潟国際アニメーション映画祭は1級の存在であると呼んで過言でないと思う。
 
19時、元の職場の同僚たちが映画祭を訪れているので、合流して飲み。まずはおでん屋店「おつる」さんで暖かいおでんを頂き、ああ、とても美味しい。
 
21時に店を変えて、居酒屋「権十楼 古町店」へ。2階の個室に案内してもらい、落ち着いて話せてとてもナイス。新潟のお酒を頂きながら、積る話が止まらない。
 
<3月20日(水)>
本日は朝から雨。そして寒い!5~6度で風も強い。
 
「市民プラザ」に向かい、10時からコンペ作品でフランスの『マーズ・エクスプレス』。去年のカンヌ映画祭でも公式上映されている作品で、さすがにクオリティがめちゃくちゃ高い。2Dのバンドデシネ的デッサンがなんともクール。
 
物語は結構複雑なのだけど、改めて見てみると(選定時以来2度目)、ハードボイルドSF小説をじっくり読み進めていくような充足感が味わえる。AIロボットが生活の一部となった世界を背景に、地球で女性ハッカーを追い詰める女性探偵と相棒の男性ロボットのアクションで幕を開ける。探偵たちはハッカーを火星に移送し、やがて研究室のロボットが脱走し、研究者の学生も失踪するという事件に巻き込まれ、いくつかの事件が繋がっていく。やがて、ロボットの一斉反乱を指揮するプログラミングの企てが明らかになる。
 
映像、物語の面白さ、アクションのキレ、ロボットの悲哀を含めたエモーション、全てが極上のクオリティ。これは日本公開も期待したい。今回は作品関係者の来日が無いのが残念!
 
続いて、シネウィンドに移動して、高畑監督特集『かぐや姫の物語』。公開時以来の鑑賞だ。アートの素晴らしさにばかり目が行ってしまっていたけれど、いったい自分は何者なのだと自問し続けた人物の苦悩の物語として今回は受け止め、上映後は深く深くため息をつく。
 
シネウィンドを出ると、男性の方が声をかけてくれて、ご挨拶すると昨日の『アザー・シェイプ』のQ&Aの場で質問された人だった。新潟在住のシネウィンドの会員の方で、今年のコンペティション部門はバラエティに富んで実に面白いとおっしゃってくれて、選定に携わった身としてとてもとても嬉しい。
 
心が温まり、ホテルに向かって歩き始め、万代橋を渡ると、みぞれ交じりの強風が叩きつけるように体を襲う。これは寒い!飛ばされないように帽子を抑える手があっという間に凍えそう。今冬、最も寒さを感じた瞬間かもしれない。
 
ホテルに戻って暖を取り、改めて外出して市民プラザへ。17時からいよいよ、クロージング・セレモニー。果たして受賞結果は?
 
昨年の第1回の映画祭の審査員長だった押井守監督が、当初映画祭側が想定していた脚本賞や監督賞などの賞のあり方を変えて、最高賞の「グランプリ」のほかに、「奨励賞」、(さまざまな境界を超えていくような作品に与えられる)「境界賞」、そして(近世のかぶき者のように個性的な作品に与えられる)「傾奇(カブク)賞」を制定し、観客を驚かせた。そして、今年もこの賞のあり方が継承された模様。
 
そして結果は!
 
「奨励賞」:『インベンター』
「境界賞」:『マーズ・エクスプレス』
「傾奇賞」:『アリスとテレスのまぼろし工場』
「グランプリ」:『アダムが変わるとき』
 
なるほど!『アダムが変わるとき』の受賞は嬉しい。ジョエル監督も感極まった様子で、壇上で声を詰まらせていた。本当におめでとうございます!

グランプリ受賞の喜びを語るジョエル・ヴォードロイユ監督

ということで、今年のニイガタも無事終了!観客の数が増えたと感じられたことが、何といっても一番の収穫だ。昨年のコンペの外国作品の入りはなかなか厳しく、客席で危機感を覚えていたのだけれど、選定委員+MCとして参加した今年、お客さんが増えたと確かに感じられた。

もう、映画祭は何といってもこれが一番重要。どんなに素晴らしい作品をラインアップしても、観客が来なければ映画祭を開催する意義は減じてしまう。とはいえ、観客が来るような作品をラインナップするのでは意味がなくて、クオリティと多様性を重視したラインアップを組むことが最初にありきで、そこに観客をいかに連れてくる努力をするか(そしてやがて努力をしなくても観客が来るような流れを作るか)が、映画祭にとっての生命線だと思う。そしてそこに向かって、ニイガタは着実に進んでいる。
 
とはいえ、満席には程遠いし、まだまだこれからだ。2年やって、事務局サイドも映画祭運営の何たるかが見えてきたのではないかと思う。ここで、3回目の来年が初年度だ、くらいの気持ちで臨んでみれば、安定への礎が築けるのではないだろうか。
 
 
映画祭というものはコンペティションを中心に置く宿命にあって、しかしそのコンペティションをアピールするのが難しいという映画祭も多い(僕は東京国際映画祭で19年間格闘した)。基本的な考え方を書いておくと、なるべく未知の作品をコンペで取り上げ、賞を授与することでその作品にハクが付き、その作品(と監督)が育つことで映画祭のステイタスも上がる、というのが理想とするスパイラルだ。
 
すでに他の映画祭で評価を受けた作品をコンペに入れることは、コンペのクオリティを上げて観客の満足度を上げるという効果はあるかもしれないけれども、それでは映画祭のステイタスは上がらない。観客の満足度が全てに勝るはずだという考え方は根強く、それを否定することはとても難しいのだけれど、しかし映画祭も向上するためには、辛い道を選ばないといけない。
 
僕が東京国際映画祭で選定ディレクターを務めていた時は、カンヌ映画祭で上映された作品をコンペに取り上げるのを止めた。カンヌの作品は総じてクオリティが高いので、コンペに入れると観客や審査員の満足度は上がるものの、その作品が受賞しても(受賞することが多い)、その作品にはカンヌ作品という刻印がすでにあるため、東京の受賞が大きな意味をなさない(ハク付けにならない)ケースが、残念ながらあるからだ。
 
世界で既に評価を受けた作品群のためには、「ワールド・シネマ(ワールド・フォーカス)」という部門を立ち上げ、賞を競わないショーケース部門のセレクションとして上映した。そして、この部門が最もチケットが売れる部門になった。かといって、これらの作品をコンペに入れても映画祭の個性には貢献しにくい(そういう映画祭も世界にはあるので、一概に否定しないが、要はどういう映画祭を目指すのかという問題につながる)。
 
なので、東京国際映画祭のコンペ部門にはなるべく(世界初上映という意味の)ワールドプレミアの作品の集めようという足かせを自分に課したのだけれど、質の高いワールドプレミア作品を集める難しさといったら、もう本当にとんでもない(どこの映画祭からも断られている質の悪いワールドプレミア作品ならいくらでもあるから)。1年365日、コンペの作品について神経を削り続けているような状態だった。コンペのクオリティについて、実に様々なことを言われたものだけれど、牛歩ながらも、プレミア度とクオリティの向上を目指していたし、実際に少しずつ上昇していたと信じている。なので、2019年にワールドプレミア作品がグランプリを受賞した時は、人生で最も嬉しかった瞬間かもしれない。
 
残念ながら東京国際映画祭を離れてしまったので、僕の志も半ばで終わってしまい、プログラム・ディレクターが変われば方針も変わるということで、東京国際映画祭のコンペに対する考え方も現在は新たなものになっているようだけれど、映画祭を向上させるために近道はなく、コンペに個性を出すためのいばらの道を進むべきだとの僕の考えは変わらない。
 
新潟も、全体のラインアップは豊かで、日本のアニメーションの特集も充実し、有意義なトークもたくさんある。その中で、長編アニメーションによる国際コンペティション部門にいかなる個性を出し、市民権を得ていくかが、今後の大きな大きな課題になっていく。わずかながらでも、そのお手伝いを来年も出来たら、とても嬉しい。


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