集団と個人
最近気になったことが、ちょっと符合したので書いてみる。
・「おいしんぼ」の鼻血の話
・ユーザー調査とマーケティング
・教育の研究
放射線量の比較的高い地域で鼻血が出やすいとか、甲状腺の異常が多いと心配されている。統計的に見たらほかの地域と変わらないらしい。また、科学的な理由づけについても薄い。
マーケティングの時の調査は、数がものをいう時が多い。「この機能がつけば1.5倍売れる(に違いない)」とか、「潜在的ユーザーが100万人いる」とか。
ゆとり教育の世代は、自発的にものごとにあたらず依存的だ。
こんな、人々を集団として見たときの評価がされている。
でも、実際の現場では集団の典型的な人ばかりが集まっているわけではない。感情を持った個人がそこにはいるのだ。
感情を持った個人は、鼻血が出ればとても心配するし、マーケティング調査でストライクなキャラであってもその商品は欲しくないかもしれないし、ゆとり世代でも仕事に自発的に取り組んでいるのかもしれない。
集団で起こっていることは、いくらでも評論的に話ができるが、個人として付き合っている人は評論的に対応するわけにはいかない。それは、売る側と買う側という関係であってもそうだ。
集団のことをもって評論的に話をするときに、なかの個人を思い出して、どこまでなら言っていいのかを考えながら話さなきゃいけないなと感じている。
そういえば、学生の時に同じクラスだった友人は、とてもいいやつで今でも年賀状のやり取りをしている。東京電力に就職し、ずっと勤めているはずだ。
おわり
ここから先は
0字
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?