海外出張エンジニアがブカレストでバドミントンをする(2012~13年)
ブカレストには、地下鉄の仕事で現地駐在した。2012年の1月中旬に現地入りし、2012年の7月以降に家族が帯同し、2014年の1月までほぼ2年間現地駐在した。私の仕事は、メトロ設計・建設に係るGC(総合コンサルティング業務)というものだったが、オーナーのルーマニア・メトロ公社の予算確保が不十分だったため、所定の事業実施を一旦ストップし、私の所属組織は最小限の人員を残して継続することとなった。この時の肩書きを日本風に言えば、「ルーマニア地下鉄公社 ブカレストメトロ6号線(空港アクセス線)建設プロジェクト事務所 事業計画課長(臨時)」みたいなものである。
派遣当初の2012年の1~2月、ルーマニアは50年来の大寒波の中にあったようで、市内はそこかしこに5~60cm以上のひどい積雪に埋もれており、また、業務もなかなか大変だったのでバドミントンどころではなかったのだが、3月になって雪も溶け、暖かくなってくると、バドミントンの練習がどこかで出来ないか、探していた。
ブカレストの練習場所は、Expatの交流サイトで、幾つか外国人が行ってもよさげな、サイトから見つけた所に飛び込んでみた。日記には、2012年3月26日づけで、「ネットで打てるところを見つけたんでアポ無しで行ってみた。駅から遠いが駐車場使える。東京だと500円NewOfficial付きなので、正直高い。まともに打てる人が一人居たんだが、シングルばっかになっちゃうんで、別のとこにも行ってみる。写真はまた今度。I found a place for playing badminton in Bucharest. played for two hours with local guys and ladies, one of name of the players was Dan. Saturday 6-8pm, Sunday 4-6pm and 6-8pm, need to pay 25 lei (6 euro) to for on session, seems very expensive as local price. The school's facility is good, Well-designed gym, well-maintained play ground, but shades / black curtains for avoiding sunlight in daytime are necessary. They use yonex plastic shuttles, yonex and victor rackets, etc.」と書いてある。
練習時間は日曜の2~4時くらいだったかなと思う。ブカレストを東西に横断する地下鉄2号線のPacii(平和、という意味、たしかパリにもPaciiと言うメトロ駅があって女子ウケ度の高いパリの裏原的な駅なのだが、ここは単なる住宅街だ)という駅の近くの小学校(第157小学校)の体育館が練習場だった。行ってみるとあまり人が居なかったが、ほぼ同い年のDan、少し若いPaulと言う奴が熱心だったのでしばらく通うことにした。
Danは、ルーマニアのバドミントン協会で審判員をやっているらしく、たまに「今週ティミショアラでInternational Challengeで、凄い機敏な日本人が優勝した。決勝の主審やったぞ」とか言ってくるんで、わりと重鎮らしかった。Paulは、ルーマニアの陸軍所属で、大会に一緒に出たときに身の上話を2時間くらいして、戦略講義で関ヶ原とか秀吉、家康、信長はよく研究した、と言うような話をしたのを覚えている。Paulの弟や、40くらいだと思っていたら60才だったおじさん、ウチの家族構成に似ているダン・カタリン一家、20代の女性3,4人(一人はDaciaのセールス部長だった)いて、皆余り上手じゃなかったがとても熱心だったので、簡単にゲーム練習はやらせず、サーブ、プッシュ、プッシュレシーブからのダブルスの展開(いわゆる「最初の三本」)について毎週教えた。この辺が出来るようになればラリーが2,3本で終わることがなくなり、ラリーが続くようになり、加速度的にバドミントン自体が面白くなるので、週を重ねるごとに皆みるみる上手になった。終了時間になると、ここの学校の先生(体育の先生で、190センチくらいあった)が見回りに来て集金していた。この先生も、バドミントン協会の重鎮らしかったが結局よく分からないままだった。
盛り上がってきたのは2012年7月に家族が来てからだと思う。ウチのカミさんもバドミントン上手なので、子供も連れてここの練習に参加するようになって、知り合いが増えていった。日本人でブカレスト大学に短期留学している男の子が全中和歌山県シングルス一位で、バドミントンが出来るという噂を聞いてやってきた時も面白かった。彼だけレベルの違うバドミントンをやっていて、3~4ヵ月くらい通ってくれて、帰国送別会もやったと思う。その間に、どっかの伝手からルーマニアのナショナルジュニアも2人くらい連れてきて、ウチもとっておきのNew Officialを出して、凄い試合に混ぜさせてもらった。トロいゲームばかりしていたのもあり、彼らの本気には全く歯が立たなかった。
Danにブカレスト市民大会を紹介してもらったので、2012年の10月頃、皆でTeam Paciiと言うのを作って出場した(良いチーム名だわな)。私はシングルス3つくらいやって決勝で負けて準優勝。カミさんはシングルスで優勝していた。男子ダブルスはPaulと出て、3位くらいだったかな。Mixダブルスにカミさんと出て、決勝まで行って、カミさんがとっておきのNew Officialを出しての試合となった(ほとんどはMavisの黄色い奴)。決勝の相手はシングルスで負けた奴だったが、ダブルスの方が勝負になるので頑張ったが、ファイナルで負けて準優勝でした。Mix決勝が全体で最後の試合だったので、ギャラリーが皆コートを囲んで、良いプレーが出ると「おーー」と感嘆の声が上がって、やっていても楽しかった。
2013年の秋には、東部ルーマニア・アマチュア大会、と言うのがあるから出ようぜ、とDanに言われて、土日月の日程で飛行機で1時間くらいのヤシ(Iasi)まで遠征した。Danは運営があるので金曜くらいから現地入りしていた。Paulと組んでベスト8、カミさんと組んで3位、シングルはベスト8だったような気がする。トーナメント・ソフトウェアを使った大会運営で、まだサイトに自分たちの試合記録が残っている。ルーマニア、モルドバがメインだが、イギリスやスコットランドからも参加者がいて、総勢100人くらいだったか。スコットランド人は民族衣装のスカートをはいて試合に出ていた。日本からの参加は珍しく、日曜に地元Iasi TVの取材を受けた。最終日の日曜夜は現地人に混じって打ち上げをして、月曜昼にブカレストに戻った。Iasiは旧モルドバ公国の首都で、現行のモルドバの首都のキシナウよりも由緒ある街で、都心に立派な宮殿があり、その傍らに宮殿の雰囲気を壊さないようにデザインされたルーマニア最大のショッピングモールもあって、素敵な街並みだった。
2013年の夏頃には「Corporate games」というイベントがあって、それに会社名のチームを作って参加した。Corporate gamesとは、企業対抗のスポーツ大会を運営している欧州系の会社があって、様々な現地企業に声を掛けて福利厚生を目的とした民営スポーツ大会だった。Corporate Gameは、サッカーとかテニスとかゴルフとか様々な種目があって、大企業から小企業まで参加出来る。勿論、私はバドミントンでの参加。私、カミさん、例の和歌山1位の青年を臨時雇用と言うことにして、揃いのポロシャツを作って、3人で出れるだけのカテゴリーに参加し、現地の従業員も3,4人応援に来てくれて、全部カテゴリーで優勝した(周りは素人ばかりだからしょうがない)。我が社は、バドミントンだけで相当点数を稼いだらしく、参加小企業(1~25人のカテゴリーで30社くらいいたと思う)の中で最優秀賞をもらった。今でも、たまにカミさんが会社名のロゴが付いたポロシャツを寝間着代わりに着ているので笑ってしまう。
2012年の終わり頃か、日本人の知り合いで、同じマンションに住む川瀬さんが「僕もバドミントンやりたいんだよねぇ」って言ってきたので、2013年はほぼ川瀬さんを誘って一緒に参加していた。川瀬さんがカッチョイイAudiのA4を出してくれたので、日曜の午後は行くのが楽しみとなった。練習が終わって、車で帰ってきて、そのまま近所のレストランで皆でステラアルトワ(ビール)を呑んで、ワインを一本空ける、という日曜夕方の過ごし方が続いた。私たちは2014年1月で帰国したが、その後も川瀬さんはPaciiの練習に毎週参加していたようだ。その後、アジア系の参加者が増えてきた、と言う話も聞いた。
ブカレストでのバドミントンライフは、Team Paciiとともにあった。また、私の中で家族と一緒にバドミントンができたのが大きい。他はだいたい一人でやっているので。家族構成が似ているDan-Catalinの一家からはお家に招待されてルーマニアの地酒のTuica・パリンカをアホみたいに呑んで三日酔いしたことを思い出す。また、DanとPaulが現地の試合に誘ってくれたので、単なる練習だけに留まらない経験ができたのが特別だった。